稲村神社 | 月の雨 きまぐれのん記

稲村神社 (茨城県常陸太田市天神林町3228番地)

 

旧社格 郷社

 

 御朱印

 

 

 祭神:饒速日尊

 配祀:國常立尊 國狹槌尊 豊斟渟尊 泥土煮尊 沙土煮尊 大戸之道尊 大苫邊尊 面足尊 惶根尊
     伊弉諾尊 伊弉册尊

 

この社は、久自国造の祖神饒速日命並びに七代天神を奉斎した神社で延喜式、続日本後記、日本三代実録などに載っている古社である。昔、日本武尊が東方征討の折、天神七代の神々を間坂外六ヶ所にまつって戦勝を祈願したと伝えられ、元禄六年 (一六九三年)、西山荘に隠棲していた水戸第二代藩主徳川光圀(義公)は、これらの神々を稲村神社に合祀 して七代天神宮と称し、社殿を修理 し、扁額をかかげ、神宝を奉納し、 自ら祝詞を奏上して鎮座祭を行った。その後も光圀は、たびたびこの社に参詣した。現在の本殿は後に 建てられたものであるが、神明造りの特色をよくあらわしている。(神社由緒看板)

 

社名標

 

参道と鳥居

 

拝殿

 

本殿

 

本殿神紋

 

静神社の宮司さんのお話ではこの辺りに天神という地名が多いのは、いつの時代かのお偉いさんがニギハヤヒの別名としての『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊』を見て「天照」?「アマテラス」?天から来た神様だから天の神「天神」だということで、このあたりの社地をすべて天神という地名に変えてしまったということでした。

それによってこの神社もまた違う時代のお偉いさんに「天神」?天神といえば菅原道真?じゃ、この神社も天満宮にするということで、菅原道真が祭神だった時代もあったとか。

 

人々の伝承なんて所詮はそんなものなんですよね。

 

神社の由緒もどこまでの真実が残っているかも分からないし、祭神の名前とかだっていつの間にか変わったものになっているかもしれません。

 

だから後は個人の想像力や直観力の部分が大事になってくるんだろうなとかお参りしながら思いました。