学校で教える正しいことと、社会で生き抜く力がかけ離れている
のではないかと漠然と思います。
すべてではありませんが・・・。
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中学1年生のAくんがいたとします。
彼は頭が良いのですが、ただがむしゃらに努力することは嫌いで
自分の今の行動が何を生み出すのかに興味があり、
最少最短の努力で最高の結果を出すことにこだわりがあります。
また、自分と似たような頭はいいのだけれどちょっとワルイ上級生とよく遊んでいます。
テスト時には、Aくんは自分で先生の趣向や教科書を分析したり
上級生から過去に出た問題を聞きだしたりして
予想問題をつくり、クラスメイトに1科目200円で売っていました。
彼の予想問題は大変良く当たるので、
クラスメイトたちは40人中30人が彼の予想問題を買い、
買ったクラスメイトは1人あたり平均3科目を買いました。
なので、A君の手元には毎テスト期間ごと
30人×200円=6,000円が入ることになります。
Aくんのクラスメイトたちはみるみる成績があがりました。
クラスメイトたちがAくんに「なぜそんなに的中する予想問題をつくれるのか?」と
聞くと、
Aくんは
「先生や教科書、過去の傾向の分析をしているからだ。難しいことではない。」と
答えました。
Aくんの評判を聞きつけ、他クラスの生徒たちもAくんから予想問題を買いたがりました。
Aくんもちょうど、他クラスでも自分の予想問題が売れるのか、的中するのか試してみたい
ところだったので他クラスの予想問題もつくり売るようになりました。
しかし、その頃Aくんの行動を良く思わない、
「Aくんの予想問題を買わない派」の努力家Bくんの先生への密告により、
Aくんは先生にお咎めを受け予想問題売買は禁止されることとなりました。
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上記の例で言うと、Aくんは学校内の異端者であり、ヒーローでもあり、
先生たちから見れば厄介者でしょう。
中学校ですから、「学校内で金銭の受け渡しをしない」などの校則があり
Aくんはそれに違反していたのかもしれません。
しかし、それ以外はカンニングをしたわけでも本問題を盗んできたわけでもありません。
自分の分析力と持てる上級生とのネットワークを駆使し、
最少努力で試験の点数をあげる方法を見つけ、さらにそれを
予想問題という価値ある状態に仕上げクラスメイトに提供することで対価である200円が
もらえるというビジネスを創出する体験をしたのです。
彼は、学校ではお咎めを受けたとしても
将来社会に出てからは自分でビジネスを生み出せる人間になるのではないでしょうか。
しかし、この中学校において「暗黙のルールを守らないと、またはある層の人間から
やっかまれると社会から追放される」という重要なことも学んだでしょうので
これも意義ある経験なのかもしれませんね。
また、中学校では試験で点数をあげることは本当の目的ではなく、
幅広い教養を深めることが目的でしょうので
Aくんのような試験攻略法をクラスメイトに広めることは正しくはないかもしれません。
しかし、もし「試験でよい点数をとること」が目的なら、勉強を始める前に方法論、
ゴールまでの道筋の立て方を考えるのは得策だと思います。
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あと関連して思い出したのでもうひとつ。
小学校に入って、体育の時間、一番はじめに学ぶことは「前にならえ」でしょうか。
先日知人が「前にならえ、なんて気持ち悪すぎると思わないか」と
言っていました。
「前にならえ」の行為に集約された
団体行動ができる、統率を乱さない、空気が読めるというのは
基本的な能力であり、周囲と結束して大きなことを成すには大切な能力です。
しかし、いつでも「前にならえ」ばかりしていたのでは
自分が誰だかわからない、能力は高く
会社にとっては都合がいいけれども
代替の利く人物にしかなれないのでしょう。
前にならえる人間が多くいるからこそ、大きな組織などがきちんと存続していけるのかもしれませんが・・・
高度成長期はそれで良かったかもしれませんが、
この成熟社会においては日本も「前にならえ人間」の量産から離れたほうがいいかもしれませんね。
私としては、まずは小学校時からの
ディスカッション授業の増加と、お金や経済の流れや個人資産の管理運用についての授業導入を望みます。