最近、反出生主義と言う考え方があることを知った。

そして、この考え方を知る遥か昔から、私はそれに近い考えをボンヤリ持っていた事に気付いた。


私は、子供はもちろん、結婚だってしていない。ただ、受験に失敗する事なく大学を出て、いわゆる安定した職について正規社員となった。

経済的には困窮する事なく、大きくレールを外れることなく、最低限の「成功」を得ているのかもしれない。


しかし、人生を振り返ってみると、それはほとんど「運」が良かっただけとしか言いようがない。「たまたまそうなっただけ」なのだ。合理的な理由は何一つない。自分の能力、努力1%、運99%と言ったところだ。


日本という国、平成という時代、周りの環境、人間関係に、時に見放され、時に恵まれ、運良く綱渡りができたにすぎない。


子供の時、幸運にもイジメに会うことはなかった。昔から自己主張をせず、下手下手に忖度し振る舞うことで世の荒波から逃れる小賢しさをたまたま持っていたからだ。


大学入試の時、センター試験で、時間切れ間際に適当に埋めた問題の5択(マークシート)4問がことごとく正解し、まぐれで合格した。

これは今でも忘れられない事だ。5分の1✖️4問で、確率的に625分の1の出来事だった。


就職のときは、その年だけ例年の倍以上の定員の採用人数だった。だから就職できた。


もし自分が、少しばかり小賢しさを持たない不器用な子供で、イジメに会って、不登校になっていたら?

625分の624の確率で大学入試に失敗していたら?

時代が就職氷河期で、例年通りの募集定員またはそれ以下で、就職に失敗しニートになっていたら?


全く違う人生になっていただろう。


この人生だって死にたくなるくらい辛いことが何度もあった。

でも偶然にも辛いことが解決したり、人生塞翁が馬のように、その後良いことも起きたから立ち直れた。

でも、たまたま辛いことが連続して重なったら?そこで立ち直れずに死んでしまったかもしれない。


世の中には自殺してしまう人、鬱病になってしまう人、事故で亡くなってしまう人、殺人に手を染める人、等々いる。


これは私にとって全く人ごとではない。


だって、私だって、一歩間違えればそうなっていた。またこの先、そうならない保障はどこにもないのだから。


且つ、合理的な「そうなった理由」「今後そうなる理由」「そうならなかった理由」「今後そうならない理由」が何一つ存在しない。


些細な運命の悪戯、大いなる宇宙意思に、私は死ぬまで翻弄され続けるしかないのだ。


無数に散らばった人生の分岐点、それを何ひとつの必然性もなく、何の目が正しいのかも知らずサイコロをふり続けた結果、なぜか今の自分が存るだけだ。


そして、今の自分も、日々が苦しくて、苦しくて、生きるのが精一杯という始末。


あまりにも、存在理由が曖昧すぎる。そして不確実すぎる。博打的すぎる。人生とはなんと恐ろしいゲームだろう。


それを思うと、自分の人生を生き抜くことで精一杯である。結婚し、違う人間の人生の責任まで負えたもんじゃないのである。


まして生まれてくる子供のことなんて到底想像できない。

ただでさえ、ほとんどが苦しみ一辺倒の人生、

子供が少しでも綱渡りに失敗したならば、さらなる苦しみの人生となることは想像に難くない。


そんな地獄に子供を産み落とせば、子供は否が応でもこのあまりにも恐ろしいゲームを始めなくてはならない。そこの親の責任を考えなければならない。


この先、衰退していく事が決まっている日本で、子供に幸せな人生を保証してあげることなんて、あまりに博打的で、いまの自分には出来そうもないことなのである。


ps これは「自分の人生」に対する分析である。自分の天性、性分を弁えた分析である。


他人までそうであれということではない。

個人的な感覚だが、正のエネルギーに満ち溢れた人は必ずいる。私のきょうだいなんかがそうである。何をしても人生上手くいく人がいる。そういう星に生まれついた人は、その子供も幸せになっていくのだろう、と思う。