忍耐強くがんばったことは?
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私が忍耐強くがんばったな~と思ったことは、高校三年間、友達がほぼできずに、皆勤賞だったことです。
ただ、男子が居ないという理由で、入れるレベルの学校を最低に落としたのが始まりです。
思えばすっごいドロドロな三年間でした。
歯ごたえの無い味のしないバリウムみたいなものをずっと飲まされてた感じ。
「別に我慢して飲まなくていいのよ?」「ううん、別に飲めるからいい!我慢する!」みたいな。
家に帰れば父親の無言のモラハラが待っているし、人と会話した思い出があんまりないです。
まず中三の段階で、ものすごい性格の悪い屑に(一般で受けた私立全部落ちてたから励ますついでに)同じ学校に来ないか誘ったせいで、始まった瞬間に苛めに遭いみるみる人間関係が悪化して、ちまちま裏で悪口を言われ(知らない女子にまで)、めちゃくちゃな目に。
それは置いておいて、最初に席が隣になった子が全くこちらの問いかけに遠慮して返さないという超引っ込み思案な子で、その子に謎の気を遣っていたらあっという間に友達ができる大事な時期を逃してしまい、他に仲のいい子ができるということもなく(できて委員会の知り合い程度)、中学が一緒だった別の科の子となあなあで付き合ってましたが、自分勝手で下痢〇みたいなやつで、ものすっごいつまらない三年間でした。
田舎で女子校だったせいか、同じクラスの女子に目立っていじめられることは無かったのですが、私がどうしたこうしたいちいち友達に報告する生徒が居たり(進級してクラスが一緒になるたびに「あの人がいるわー」と勝手に愚痴られてた)、一年生の体験学習で信州に行ったときに、「入り口側で寝るくらいなら私(紀野です)と手繋いで寝たほうがまし」と目の前で別の子に言ったりされたり(悪気が無いのが凄い)、もう私の立場が適当過ぎる。麻痺してたから傷つかなかったけど、サイコパスばっかじゃねえかと思ってましたね。
2年生からようやく一緒に行動する女子が居たんだけど、私のことを裏で「キモい」と言いつつも全然離れず、まったく友達と思えませんでした。
卒業後も変わってなくて、普通に話しかけられて全力で逃げたな…。紙のチェーンメール送ってきたけど正気だったのか謎です。常にもごもごしゃべってて言葉が聞き取れなかった。
始まった瞬間に終わりを感じることはよくあるけど、よくあんなゴミみたいな日々を許容できたよなと感心します。
今やったら確実に生きてないですね!
私は未だに人との距離の取り方が分からないです。
