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『 部下の発言力が上司を上回る時 』
ご存じ、経営の神様と謳われた松下幸之助氏は、
自身が尋常小学校までしか出ていないこともあり、
周囲の人間は皆、先生に思えたし、部下であろうと、
年齢に関係なく真摯に耳を傾けて来たという。
もっとも─、
幸之助氏ほどのカリスマ経営者ともなれば、
得てして神格化されて語られるのは世の常であり、
ましてや─、
氏が、明治 27 年生まれの人物であることを考慮すれば、
( 1989 年 4 月 27 日没 ( 94 歳 ) ─ Wikipedia より )
もはや─、
その実像は、歴史上の話になりつつあると言ってよい。
しかし─、
いずれにせよ、年齢や立場に関係なく、
能力のある者を尊重し、謙虚に耳を傾けるという姿勢は、
リーダーのみならず、
人としての、あるべき姿とも言えよう。
しかし─、
我々が「 理想 」を語るとき、
同時に、それが多くの人間にとっては、
困難なことであるということも、
また知っている。
では─、
こう考えてみてはどうだろうか?
多くの人間にとって、それが困難なことであり、
ひいては、組織やチームの崩壊にもつながりかねないような、
危険性を、はらんだものであるというのなら、
敢えて、そのようなリスクは犯さないということもまた、
合理的な判断と言える。
つまり─、
これはどういうことかと言うと…、
( 次回へつづく... )
『 人間の狭量さは自然界に備わった安全弁!? 』