前回の記事は、こちら─、
『「 名選手、名監督にあらず 」の意味を都合よく解釈してないか!? 』
前々回の記事─、
『 自分より優秀な人間は採用しない、ある開発部長の話 』
で述べた、
私が配属されたセクションの部門長も兼任する、
社長と言うのは、もっぱら営業畑を歩んで来た人間で、
一応、業界関係者としての IT の知識も、
多少は持ち合わせてはいたものの、
業界の専門家というには、はるかに、
見劣りするレベルであったことは否めない。
そのような人間を上司に持った場合、
専門知識においては、
こちらの方が圧倒的有利な立場に、
立つことになることから、
そういう点では─、
部下にとっては、非常に、
仕事がしやすい (!?) 環境となる。
発言力のパワーバランスが、どうしたって、
上司よりも部下の方に、傾くことになるからだ。
しかし─、
そのような人間関係は、
例えば、地中奥深くの大陸プレートに、
徐々に負荷 ( ストレス ) が蓄積し、
やがては甚大な被害をもたらす巨大地震ように、
人の外面と本音とを支える支柱を少しづつ浸食して行き、
遅かれ早かれ、チームを崩壊させる腫瘍へと発展する。
その理由はいたって明快で、
ソフトウェア業界の、ある重鎮の言葉を借りるなら、
「 いかにして実現するか? 」
という問いに答えられぬ者が、
「 何をするか? 」
という問いにだけクチを出すというのが、
そもそもの間違いのもとなのだ。
あなたがいま、上司という立場で思い当たる節があるのなら、
自分だけは違うなどとは考えぬことだ。
また─、
自分が部下という立場で、その専門スキルにおいて、
見劣りする上司の下にいるというのなら、
たとえ今が、良好な関係に思えても、
自分の上司だけは理解してくれている、などという考え方は、
( もしあるのなら )、この際、キッパリ捨た方が良い。
( 次回へつづく... )
『 経営の神様は小卒だった… 』