観賞したのは、もうずいぶん前のことだが─、
『 π 』という映画が、
なかなか衝撃的だったことを覚えている。
主人公の天才数学者マックスは─、
第一、数学は万物の言語
第二、全ての事象は数字に置き換え、理解できる。
第三、それを数式化すれば、一定の法則があらわれる。
「 ゆえに全ての事象は法則を持つ 」
という考えのもとに、
世界の本質を解明する研究に没頭している。
「 数字であらわされる世界経済、
何十億人もが参加し、世界に広がるネットワーク、
それは自然の有機体、
わたしの仮説、株式市場にも法則がある。
眼の前を流れる数字の影に、ムカシも今も。」
これに対し、数学の師ソルは─、
「 昔の日本人は碁盤を宇宙の縮図と見立てた
一見単純で整然としているようだが
勝負の形は無限上に存在する
雪の結晶のように1つとして同じ形はない
一見単純な碁盤は実は非常に複雑で
混沌とした宇宙世界を表現しているのだ
我々の世界もまたそれと同じことだ
数学のようにはいかんよ、単純な法則などない 」
と、たしなめるのだが…、マックスは─、
「 でも勝負の形を解明できれば
全ての動きを予測できます
私たちはまだ法則に気づかないだけです
必ずあります
碁の全ての勝負の根底をなす法則が 」
と、反論する。
アーサー・C・クラークの短編小説、
『 究極の旋律 』という作品には─、
「 すべての現存するメロディは、一つの根本的な、
メロディに近づこうとした悪あがきの結果にすぎない。」
と、考える科学者が登場し、
クラシックやポピュラーの名曲を分析器にかけ、
究極の旋律を生成する自動作曲装置を作りだそうと試みる。
結局、映画『 π 』の主人公にも、
小説『 究極の旋律 』の科学者にも、
ハッピーエンドは訪れない。
宇宙の深淵を覗き込もうとする者に対しては─、
世のストーリーテラーたちは、
いささか厳しい結末を用意するのが常のようである。
しかし─、
ここで語られている内容は、フィクションとはいえ、
実に興味深い着想に思える。
ともすれば、本当に実現可能かも…、
とさえ思わされてしまいそうだ。
一見、複雑に見えるパターンや現象の裏には、
単純な法則が隠れているのだろうか?
それは音楽にも経済にも、当てはまるのだろうか?
小説の主人公は、
一体どんなメロディを聴いたのであろうか?
せめて、美しいメロディであったことを、
祈るばかりである。