前回の記事は、こちら─、
『 もう一人の自分は、どうやって生み出される? 』
私は又吉さんと違って─、
二十代の頃から書き留めて来た、
ネタ帳などが、あるわけではない。
しかし─、
学生時代の一時期、書き綴った日記や、
当時─、
気になる言葉や考えを書き留めたメモ、
などがあったことが、不意に思い出され、
なにやら無性に、読み返してみたい衝動に、
かられるようになって行った。
そこで─、
再び、実家に帰った際、
引き出しの奥に仕舞い込んだままになっていた、
それら過去の自分の "書置き" を、
取り出してみることにした。
そして、そこには…。
その時の体験を、
上手く言葉で表現する手立てを、
持ち合わせていない自分が、
もどかしい限りではあるのだが、
( まぁ、芥川賞作家のようにはいくまい… )
確かに─、
ノートもメモ帳も、
それらの、折れ曲がった角も、
また─、
そこに記されている字体も、
すべてが懐かしく、自分のものであることは、
間違いないのだが、その内容はと言うと、
やはり─
自分とは、どこか "異質" の意識によって、
書かれた文字列という印象は否めず、
読み進める内に、時折、
当時の "感覚" が、呼び起されるものの、
それを意識しようとすると、
とたんに、霧散してしまう…、
そんな体験を、何度も繰り返した。
( 次回へつづく... )
『 もう一人の自分よ、十年後にまた会おう!』