下北沢を "演劇の街" にした男の、人生の回り道 | サラリーマンの副業+在宅×必要悪ソフト

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人様から、お金を貰って提供できるだけの何かを形にするためには、最低でも10年は必要。確固とした専門スキルを持たぬ者が「大事なのはお客様」などと主張するのは持たざる者の言いわけ。それを、いかにして成すかを理解せぬ者が、何をするかだけを決めるのは間違いのもと。

私も時々、庭の門番でいるより、
庭師になりたいなんて思うことがあります。
でも、これが私の役割だと思います。
我々は皆、それぞれに人生における役割があるのだと思います。
そうは思いませんか…?

( 出典不明 )



◆◇◆◇◆



これまでにもたびたび、
このブログで述べて来たが、



私はピアノが趣味で、



かつては自分の持てるバイタリティの多くを、
ピアノに注ぎ込んでいた時期もあった。



現在は、子供も生まれ、
自身の余暇に割ける時間は激減したとは言え、



それでも─、



ピアノに関しては、生涯に渡り、
取り組んで行きたい気持ちに変わりはない。



正直なことを言えば─、



"ピアノだけを弾いて生きて行けたら、
さぞかし幸せだろう"



などと、ふと思ったりもするのだが…、



やはり─、



やりたいことだけをして、
食べて行けるほど甘くはないのも、また、



世の常であろう。



以前、こんな話を聞いたことがある。



かつて、新東宝の映画俳優だった本多一夫氏は、
一度、俳優業に見切りをつけ飲食店を始めた。



それが成功し、一時期は、80 店舗にも及ぶ、
事業へと経営を拡大させたという。



これは、たとえ飲食店経営のプロが、
意図的にやろうとしても、



そう簡単に実現し得るものではないだろう。



そして─、



本多氏は再び、演劇の世界へと舞い戻って来る。



飲食店経営で得た資金を元手に、



自ら下北沢に劇場を建設するという大技でもって、
演劇を再開させるのだ。



若手俳優の育成、および、劇団の運営者として。



本多氏の功績により、今日、下北沢は、
"演劇の街" とまで言われる存在になっている。



( 次回へつづく... )
『 ピアノのレッスンで教師と生徒の立場が完全に逆転した、ある出来事とは? 』