前回の記事は、こちら─、
『 迷惑は買ってでもせよ!? 』
そのようなことから、
私も特に社会人になって以降、
いわゆる─、
「 考え方 」に関する書籍についても、
積極的に手にするようになった。
そられの書籍の中には、かつて感銘を受けたが、
今は特に、それほどとは思わない書籍も存在する。
それはそれで良いと思う。
◆◇◆◇◆
そこでわたしたちは畏れと愛を、
同じボウルに注ぎ込んで、
めちゃくちゃにかきまわしてしまった。
愛を失うという畏れのせいで、
わたしたちは自分を愛するのに、
ほかのひとが愛してくれるときと同じ条件をつける。
だから─、
簡単に自責の念を感じ、自己嫌悪に陥る。
その習慣がしみこんでいるので、
相手に、ぜんぜんそんなつもりがないときでも、
きっと自分を非難し嫌悪しているはずだと思いこむ。
この自責の念、自罰的感情、自己否定は、
もちろん、こっそりと心に秘めている。
そうでないと、ほかのひとたちにまで、
否定されてしまうと思う。
そこで─、
わたしたちは困難や問題にぶつかると、
自分の感情を人びとから ( ときには自分からも )、
隠してしまう。
皮肉なのは─、
それがまさに、わたしたちを愛するひとたちが、
一緒にいてやりたいと思ってくれているときだ、
ということである。
『 変えれば、変わる 』( ニール・ドナルド・ウォルシュ ) より
( 次回へつづく... )
『 歌手、警察官、医師、教師、技術者、俳優、消防士、ストリッパー、これらの職業に共通するものとは? 』