私たちが自分自身を愛する時に課す条件とは? | サラリーマンの副業+在宅×必要悪ソフト

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人様から、お金を貰って提供できるだけの何かを形にするためには、最低でも10年は必要。確固とした専門スキルを持たぬ者が「大事なのはお客様」などと主張するのは持たざる者の言いわけ。それを、いかにして成すかを理解せぬ者が、何をするかだけを決めるのは間違いのもと。

前回の記事は、こちら─、
『 迷惑は買ってでもせよ!? 』



そのようなことから、
私も特に社会人になって以降、



いわゆる─、



「 考え方 」に関する書籍についても、
積極的に手にするようになった。



そられの書籍の中には、かつて感銘を受けたが、
今は特に、それほどとは思わない書籍も存在する。



それはそれで良いと思う。



◆◇◆◇◆



そこでわたしたちは畏れと愛を、
同じボウルに注ぎ込んで、


めちゃくちゃにかきまわしてしまった。


愛を失うという畏れのせいで、


わたしたちは自分を愛するのに、
ほかのひとが愛してくれるときと同じ条件をつける。


だから─、


簡単に自責の念を感じ、自己嫌悪に陥る。


その習慣がしみこんでいるので、
相手に、ぜんぜんそんなつもりがないときでも、


きっと自分を非難し嫌悪しているはずだと思いこむ。


この自責の念、自罰的感情、自己否定は、
もちろん、こっそりと心に秘めている。


そうでないと、ほかのひとたちにまで、
否定されてしまうと思う。


そこで─、


わたしたちは困難や問題にぶつかると、


自分の感情を人びとから ( ときには自分からも )、
隠してしまう。


皮肉なのは─、


それがまさに、わたしたちを愛するひとたちが、


一緒にいてやりたいと思ってくれているときだ、
ということである。


『 変えれば、変わる 』( ニール・ドナルド・ウォルシュ ) より



( 次回へつづく... )
『 歌手、警察官、医師、教師、技術者、俳優、消防士、ストリッパー、これらの職業に共通するものとは? 』