前回の記事は、こちら─、
『 女性をターゲットにした、囲碁雑誌のキャッチフレーズに一本!』
確かに─、
外国映画などで、主人公が、
チェスを打つ場面が出て来たりなんかすると、
大変、知的な印象を受ける。
かつて、IBM が、チェスを打つ、
スーパーコンピュータの開発に取り組み、
人間の世界チャンピョンとの、
対戦を試みたのは有名な話だが、
筆者もかつて大学院時代に、
人工知能の研究にたずさわり、
その過程で、ゲームの思考プログラムなるものに、
取り組んだことがある。
その当時のことを振り返ると…、
こと日本においては、
将棋や囲碁と言えども、
ゲームの思考プログラムなどと言うものは、
どちらかと言うと、学術的観点からは、
あまり、真面目に取り組むような課題ではない、
といった風潮が漂っていたように思われる。
しかし─、
欧米におけるチェスの位置づけというのは、
日本の将棋や囲碁などとは、少々、事情が異なるようだ。
欧米におけるチェスとは、
言うなれば、知性の象徴のようなもので、
チェスのグランドマスターともなれば、社会的地位も高く、
世界チャンピオンを輩出することは、
国家にとっても大変、名誉なことで、
東西冷戦中は、世界大会ともなれば、
核兵器をポーンに置き換えた、
国家間の "代理戦争" といった趣さえあったようだ。
それゆえに─、
コンピュータチェスもまた、
学術的観点から、まじめな研究対象として、
長年に渡り、多くの研究者たちによって取り組まれて来た。
これは要するに─、
チェス業界が、チェスを、
"知性の代名詞"
としてのブランド作りに、
成功してきた結果だとも言える。
( 次回へつづく... )
『 エドガー・アラン・ポーが、あの代表作でチェスはつまらぬと語った理由 』