前回の記事は、こちら─、
『 人間 vs コンピュータ(7) ~ 稀代の戦略家もチェスには、お手上げ 』
今回、人間のプロ棋士に勝利したプログラムは、
過去の膨大な棋譜データを、
"学習" することによって、
ここまでの強さを習得した。
しかし─、
コンピュータによる学習処理というのは、
それによる、能力の向上は期待できるものの、
学習によって得た "知識" から判断した、
一手の理由については、
必ずしも明快な説明を、我々人間に、
与えてくれるとは限らない。
「 なぜ? 」
という問いには、答えてくれないのだ。
となると─、
将棋などのゲームにおいては、
それでも良いかも知れないが、
巨額の費用をつぎ込む、事業への投資、
などといったビジネスの現場での意思決定や、
人命のかかった場面などでの判断において、
「 コンピュータがそう言っている… 」
という理由だけで、
すんなりと、その "一手" を、
選択できるかというと、
多くの人間が、ためらうことも、
また事実だろう。
最後に─、
今回のブログを書くにあたって、
多くのネット上の記事を、
拝見させていただいたのだが、
その中で、次のような印象深い言葉を、
見つけたので、
ここにも記しておきたいと思う。
尚、申し訳ないが─、
後になってから、もう一度、
その記事を確認しようと思ったが、
もう、見つけられなかった。
内容はおおむね、次のようなものである。
──────────────────────
もし、人工知能が作った料理の方が、
美味しかったら、あなたはどうしますか?
もし、人工知能が作った音楽の方が、
素晴らしかったら、あなたはどうしますか?
もし、人工知能と対話する方が、
楽しかったら、あなたはどうしますか?
──────────────────────
"相手" の方が知能が高ければ、
そうなるだろう。
そして─、
それは、近い将来か、遠い未来かは別として、
そうならない理由はどこにもない。