前回の記事は、こちら─、
『 人間 vs コンピュータ(5) ~ 人間を凌ぐ機械知能の不気味さ 』
チェスや将棋は、手数が膨大であるとは言え、
打てる手の選択肢はルール上、明確であるし、
その後の盤面の展開も、明確に表せる。
そういう意味では、コンピュータ ( の方が ) が、
扱いやすい問題だったと言えるかも知れない。
もっとも─、
日本では、あまりピンとこない面もあるが、
欧米において、チェスは、
少々、特別な意味を持っているようである。
すなわち─、
チェスとは、知性の象徴であり、
頭脳のスポーツであるという。
だから─、
チェスを、オリンピックの種目に推す声も、
あるというのだ。
チェスの世界チャンピオンを輩出することは、
自国の知性の高さを、国内外に示すことでもあり、
社会的にも、かなり高いステータスに、
位置づけられているという。
冷戦時代、チェスの世界大会は、
ミサイルをポーンに置き換えた、
戦争であるとも言われ、
コンピュータサイエンスの分野でも、
チェスの思考プログラムの研究は、
"まじめ" な課題として取り組まれてきた。
しかし─、
「 ある企業の経営改善策の "一手" を示せ。」
という課題が、
チェスや将棋の思考プログラムで成功した、
技術の延長で解決できるか?
というと、そうは思えない。
従って─、
将棋やチェスにおいて、
人間に勝利したからといって、
それをもって─、
コンピュータが、人間の知能に勝利したと、
短絡的に捉えるのは、
いささか話が強引と言うべきだろう。
( 次回へつづく... )
『 人間 vs コンピュータ(7) ~ 稀代の戦略家もチェスには、お手上げ 』