人間 vs コンピュータ(6) ~ 欧米におけるチェスと日本における将棋との温度差が半端ない! | サラリーマンの副業+在宅×必要悪ソフト

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人様から、お金を貰って提供できるだけの何かを形にするためには、最低でも10年は必要。確固とした専門スキルを持たぬ者が「大事なのはお客様」などと主張するのは持たざる者の言いわけ。それを、いかにして成すかを理解せぬ者が、何をするかだけを決めるのは間違いのもと。

前回の記事は、こちら─、
『 人間 vs コンピュータ(5) ~ 人間を凌ぐ機械知能の不気味さ 』



チェスや将棋は、手数が膨大であるとは言え、
打てる手の選択肢はルール上、明確であるし、



その後の盤面の展開も、明確に表せる。



そういう意味では、コンピュータ ( の方が ) が、
扱いやすい問題だったと言えるかも知れない。



もっとも─、



日本では、あまりピンとこない面もあるが、



欧米において、チェスは、
少々、特別な意味を持っているようである。



すなわち─、



チェスとは、知性の象徴であり、
頭脳のスポーツであるという。



だから─、



チェスを、オリンピックの種目に推す声も、
あるというのだ。



チェスの世界チャンピオンを輩出することは、
自国の知性の高さを、国内外に示すことでもあり、



社会的にも、かなり高いステータスに、
位置づけられているという。



冷戦時代、チェスの世界大会は、



ミサイルをポーンに置き換えた、
戦争であるとも言われ、



コンピュータサイエンスの分野でも、



チェスの思考プログラムの研究は、
"まじめ" な課題として取り組まれてきた。



しかし─、



「 ある企業の経営改善策の "一手" を示せ。」



という課題が、



チェスや将棋の思考プログラムで成功した、
技術の延長で解決できるか?



というと、そうは思えない。



従って─、



将棋やチェスにおいて、
人間に勝利したからといって、



それをもって─、



コンピュータが、人間の知能に勝利したと、
短絡的に捉えるのは、



いささか話が強引と言うべきだろう。



( 次回へつづく... )
『 人間 vs コンピュータ(7) ~ 稀代の戦略家もチェスには、お手上げ 』