前回の記事は、こちら─、
『 文明の利器を侮るな!』
また─、
世間では、次のような主張も、
時折、聞かれる。
……………………………………………………………………
最近は、ネットで何でも調べることが、
できるから、
簡単に答えが得られてしまう。
……………………………………………………………………
この主張についても、
いささか疑問を感じる。
ネットが普及する以前であっても、
大手の書店や図書館にでも行けば、
大量の専門書や解説書は存在してきた。
では─、
彼らは、そういった書物や図書館も、
批判すべき存在だと主張するのだろうか?
紙の上の印刷されたテキストは良いが、
ネット上のデジタル化されたテキストは、
ダメだと言うことか?
それとも─、
書店や図書館に出向く手間を、
怠っていることを問題視しているのか?
確かに─、
今日のネット上には、
かつて、書店や図書館に存在した、
大量の専門書や解説書、以上の情報が、
溢れているかも知れない。
それらを検索すれば、さまざまな情報が、
簡単に手に入るだろう。
学会の論文であっても…、
技術者が扱う、専門情報であっても…。
しかし─、
そういった情報を入手したところで、
誰もが理解できるだろうか?
ネットで簡単に、
情報が入手できたからと言って、
様々な分野の専門家たちの、
最新の研究論文や、技術情報を、
門外漢の人間が、簡単に理解できるのなら、
誰も苦労はしない。
つまり─、
情報が入手できることと、
その内容が理解できることとは、
全く別なのだ。
( 次回へつづく... )
『 ネットを批判する人たちの「 なぜ? 」』