前回の記事は、こちら─、
『「 自動化 」を人は嫌悪する!? 』
私は以前、ピアノをたしなんでいたことが、
あるのだが、
ピアノの先生に、自動作曲なるものについて、
たずねたことがあった。
すると先生からは─、
「 コンピュータに作曲してもらって、一体なにがおもしろいの? 」
という、非常に辛辣なコメントが、
返って来たことを記憶している。
恐らく、一般的な反応も同様だろう。
どこか、人間の意識の根底には─、
芸術の創作や、
人と人との関わりや信頼関係が求められる、
ビジネスのような活動は、
人間だけが行える "高度" な取り組みであって、
そこに機械などが入り込む余地は一切ない!
と、頑なに拒否せんとする心理が、
はたらいているかのようだ。
まぁ確かに、そういう心理も、
分からなくはない。
時折、ビジネス書などでも─、
「 SNS を活用し、寝ていても売れる仕組み~ 」
「 お客が "ベルトコンベア" に乗って自動的に、
運ばれてくる仕組み~ 」
などと言った表現を見かけるが…、
そこだけを見ると、顧客を一人の人間として、
捉えるのではなく、
単なる "端末" としてしか考えない、
非常に不謹慎な様のように見えなくもない。
しかし─、
先の音楽の例で言うなら、
それでも、私は、こう考えずにはいられない。
もし─、
バッハやモーツアルトが、現代に生まれていたら、
彼らはどうしていただろうか?
最新のデジタル楽器を駆使した、
現代音楽を作曲しただろうか?
少なくともコンピュータという強力なツールを、
見逃さなかったことは間違いないだろう。
ちなみに─、
アメリカなどでは既に CM の音楽制作等において、
自動作曲システムが利用されている。
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