JR下関駅西側に伊崎という地区があります。
平家由来の伝説も残る古くからの漁師町です。
名優・松田優作が生まれた街でもあります。
細い路地から更に入る脇道。
「とっくり小路」と呼ばれ、かつては家が並んでいたとか。
伊崎には、「徳利(とっくり)小路」の他、
「風呂屋小路」「目鏡(めがね)小路」「餅屋小路」など
面白い地名が複数あったようです。
とっくり小路の入口に案内板がありますが、
この先の突き当りにあるのが、
今日ご紹介するモニュメント……というか、井戸です。
「ひょうたん井戸」です。
1864年、高杉晋作は下関長府・功山寺で
俗論派打倒のための兵を挙げました。
「功山寺挙兵」または「回天義挙」と呼ばれるこの決起により、
時代は維新に向けて大きく転換し、
晋作は、翌1865年には藩の実権を握りました。
イギリス行きを目指した晋作は、
長崎でトーマス・グラバーと面会します。
しかし、グラバーに、洋行よりも下関開港を果たすよう勧められ、
軍事力強化のためにそれを目指すようになります。
しかし、それは攘夷派の反発を買いました。
更に、下関港を長州藩直轄にしようとしたことから、
長府藩士らの反発も買うことになりました。
結果、刺客に狙われた晋作が逃げ込んだとされるのが
このひょうたん井戸です。
井戸の中に丸1日隠れた結果、
身体を悪くしたとも言われています。
場所は↓こちらです。



