亀尾山神社の拝殿に向かって右。
以前ご紹介した「奉建立御宝庫壱宇」の碑の写真です。
「奉建立御宝庫壱宇」の碑の背後に建てられている
「林豊弼翁頌徳碑」です。
昭和13年(1938年)に建てられたものです。
林豊弼は現在の下関市豊田町で神職を務めた人物のようですが、
詳細は確認できておりません。
題字の揮毫は水野錬太郎が手掛けています。
錬太郎は明治時代に内務官僚として活躍。
大正時代には、寺内、加藤(友三郎)、清浦の各内閣で
内務大臣を務めました。
昭和に入り、田中(義一)内閣で文部大臣を務めますが、
昭和3年(1928年)、久原房之助の入閣に反対し、
辞表を提出します。
しかし、首相の求めにより、錬太郎は辞表を撤回。
その際、錬太郎の辞表撤回は
天皇から慰留(優諚)があったためであるとしたことが、
「天皇の政治利用だ」と非難されることとなります。
結局、問題発生の翌日、
錬太郎は文部大臣を辞任(水野文相優諚問題)。
その11日後には張作霖爆殺事件が起こり、
その対応の失敗により、1年後田中内閣は
総辞職に追い込まれることになったのでした。
碑の場所は↓こちらです。


