特別展「三国志」4 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

前回の続きで、九州国立博物館で開催されている

特別展「三国志」の様子です。

この特別展は、展示のほとんどが撮影可能です。

 

 

 

童子図盤

 

蜀の漆器ですが、発見されたのは呉の朱然の墓。

樊城の戦いで関羽を破り、蜀と敵対していたはずの朱然が、

蜀の漆器を持っていたという不思議な話です。

 

 

 

「偏将軍印章」金印

 

偏将軍は、曹操に降伏した時の関羽のほか、

周瑜や馬超なども与えられたことのある地位です。

 

この印は、金印としては唯一現存する偏将軍の印で、

三国志の時代から200年ほど前のものです。

 

 

 

炭炉と熨斗(うつと)

 

いずれも朱然の墓から発見されたもの。

今で言うアイロンのようなものだそうです。

熨斗の中に炭を入れて熱くして、衣服を押さえたそうです。

 

 

 

蛇矛

 

張飛の武器として知られる蛇矛。

それとはイメージが違いますが、蛇矛は実現しました。

紀元前のもので、中国西南部に栄えていた

石寨山文化において作られました。

 

 

 

「孟とう」印(「とう」は「騰」の「馬」が「三」)

 

小さい印が大きな印に収まるように作られています。

蜀~西晋の時代のもので、雲南省昭通市で発見されました。

諸葛亮の南征の時に登場する孟獲の一族と思われます。

 

 

 

「曹休」印

 

曹操の一族の武将・曹休の印。

『三国志』の登場人物の名前が記された印で確実なものは、

現時点ではこれ1つしかないそうです。

 

 

 

石球

 

合肥新城の跡地から発見されたもの。

城から下の敵に向かって落としたのか、

投石機で遠方の敵まで飛ばしたのかは不明です。

 

 

 

毋丘倹紀功碑

 

魏の毋丘倹は、244年~255年に高句麗へ遠征した際、

制圧した土地の中に碑を建立したと伝えられています。

これはその1つと考えられています。

 

武将名は「かん丘倹」(「かん」は「貫」の上部)の

イメージなのですが、

最近は「毋丘倹」(ぶきゅうけん)だったと考えられているそうです。

 

 

 

写真向かって左から、

仏像き鳳鏡(「き」の字の説明は困難なので省略)、

「嘉禾五年」重列式神獣鏡、同向式神獣鏡

 

いずれも呉で作られたもの。

特に中央の鏡は、「嘉禾五年」(236年)と記されており、

制作年がはっきりしています。

孫権が皇帝の時代です。

 

 

 

舞踏俑2体

 

後漢~蜀の時代のもの。

当時流行っていた踊りと思われます。

 

 

 

製塩図磚

 

後漢時代のもので、

後に蜀になった場所にて発見されたもの。

塩分を含む地下水を用いて作った塩は、蜀の貴重な収入源でした。

 

 

九州国立博物館の場所はこちらです。

 

 

次回へ続きます。