前回の続きで、九州国立博物館で開催されている
特別展「三国志」の様子です。
この特別展は、展示のほとんどが撮影可能です。
童子図盤
蜀の漆器ですが、発見されたのは呉の朱然の墓。
樊城の戦いで関羽を破り、蜀と敵対していたはずの朱然が、
蜀の漆器を持っていたという不思議な話です。
「偏将軍印章」金印
偏将軍は、曹操に降伏した時の関羽のほか、
周瑜や馬超なども与えられたことのある地位です。
この印は、金印としては唯一現存する偏将軍の印で、
三国志の時代から200年ほど前のものです。
炭炉と熨斗(うつと)
いずれも朱然の墓から発見されたもの。
今で言うアイロンのようなものだそうです。
熨斗の中に炭を入れて熱くして、衣服を押さえたそうです。
蛇矛
張飛の武器として知られる蛇矛。
それとはイメージが違いますが、蛇矛は実現しました。
紀元前のもので、中国西南部に栄えていた
石寨山文化において作られました。
「孟とう」印(「とう」は「騰」の「馬」が「三」)
小さい印が大きな印に収まるように作られています。
蜀~西晋の時代のもので、雲南省昭通市で発見されました。
諸葛亮の南征の時に登場する孟獲の一族と思われます。
「曹休」印
曹操の一族の武将・曹休の印。
『三国志』の登場人物の名前が記された印で確実なものは、
現時点ではこれ1つしかないそうです。
石球
合肥新城の跡地から発見されたもの。
城から下の敵に向かって落としたのか、
投石機で遠方の敵まで飛ばしたのかは不明です。
毋丘倹紀功碑
魏の毋丘倹は、244年~255年に高句麗へ遠征した際、
制圧した土地の中に碑を建立したと伝えられています。
これはその1つと考えられています。
武将名は「かん丘倹」(「かん」は「貫」の上部)の
イメージなのですが、
最近は「毋丘倹」(ぶきゅうけん)だったと考えられているそうです。
写真向かって左から、
仏像き鳳鏡(「き」の字の説明は困難なので省略)、
「嘉禾五年」重列式神獣鏡、同向式神獣鏡
いずれも呉で作られたもの。
特に中央の鏡は、「嘉禾五年」(236年)と記されており、
制作年がはっきりしています。
孫権が皇帝の時代です。
舞踏俑2体
後漢~蜀の時代のもの。
当時流行っていた踊りと思われます。
製塩図磚
後漢時代のもので、
後に蜀になった場所にて発見されたもの。
塩分を含む地下水を用いて作った塩は、蜀の貴重な収入源でした。
九州国立博物館の場所はこちらです。
次回へ続きます。










