ボートレース下関の敷地内に建てられている「孝養の像」です。
59歳の笹川良一が、82歳の母・テルを背負い、
金毘羅参りをしている様子です。
台座には、良一の作った「孝養の像への讃歌」が記されています。
「母背おい 宮のきざはし かぞえても
かぞえつくせぬ 母の恩愛」
良一は、明治32年(1899年)、大阪府に生まれました。
小学校の同級生に川端康成がいたそうです。
イタリアのムッソリーニを敬愛し、昭和6年(1931年)には
自ら結成した右翼政党・国粋大衆党の総裁に就任。
昭和17年(1942年)より衆議院議員を1期務めますが、
太平洋戦争の遂行には否定的でした。
戦後、モーターボート競走(ボートレース)の設立・発展に尽力。
現在でも、ボートレースの「笹川賞競走」にその名を残しています。
「右翼のドン」と言われる一方、
社会奉仕活動家としても知られました。
笹川良一の名前にピンとこなくても、
かつて、高見山関(当時)と一緒に、
日本船舶振興会(現・日本財団)・
日本防火協会(現・日本防火・防災協会)のCMに出演していた、
「『戸締まり用心、火の用心』『一日一善』のおじいさん」と言えば、
思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
科学技術政策担当大臣や自民党総務会長などを歴任した、
笹川堯・前衆議院議員は子、
笹川博義衆議院議員は孫に当たります。
良一の「孝養の像」は全国各地にあるそうで、
この像はその1つです。
場所はこちらです。
