数方庭祭 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

毎年、8月7日から13日に忌宮神社で催される、

「天下の奇祭」数方庭祭に行ってきました。

 

 

下関市長府にある忌宮神社は、

仲哀天皇が豊浦宮を設けた場所だと伝えられています。

 

西暦198年、新羅の塵輪(塵倫)という将軍が、

九州の熊襲を煽動して、豊浦宮に攻め込んできました。

宮中を守る阿部高麿・助麿兄弟も討ち死にしたため、

仲哀天皇は怒り、黒雲に乗る塵輪を自らの弓で射落としました。

皇軍は勝利を祝い、矛や旗を振りかざして、

塵輪の屍の周囲で踊りました。

そして、塵輪の首を埋め、大きな石で覆いました。

塵輪の顔が鬼のようであったことから、

その石を「鬼石」と呼ぶようになったそうです。

これが数方庭祭(数方庭)の由来です。

 

鬼石については、以前ご紹介しました。

 

ちなみに、この故事は、石見神楽の演目「塵輪」としても

受け継がれており、その中で塵輪は、

翼を持つ鬼として描かれています。

 

 

 

始まる前の忌宮神社。

祭りで使われる竹の幟は、大きなものでは30mもあるそうです。


 

 

本殿前に並ぶ幟は、写真手前が毛利家、奥が乃木家のもの。

 

 

 

暗くなってきて、雰囲気が出てきました。

 

 

 

鬼石の上に太鼓が置かれています。

 

 

 

「切籠」と言う、灯籠が吊るされた笹竹を手にした

女性の行列が、鬼石の周りを進みます。

 

 

 

いい感じに綺麗な月が上ってきました。

 

 

 

男たちが幟を持って鬼石の周りを歩きます。

最初は子どもたちが小さい幟を持って回ります。

「小さい」と言っても数mはあります。

 

 

大人は大きな幟を持って歩きます。

 

 

元々は竹の幟ではなく、矛・剣・薙刀を持って踊っていましたが、

長府毛利藩第3代藩主・綱元の時に、

「太平の世にふさわしくない」との理由から、

竹に改められたのだそうです。

 

 

 

切籠→幟の流れは何回か繰り返されます。

場所を変えて撮影。

 

 

 

 

 

 

最後まで観れませんでしたが、帰りが遅くなるので退出。

お疲れ様でした。

 

 

忌宮神社の場所はこちらです。