亀山天皇皇孫尊観親王墓 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

以前ご紹介した専念寺です。

 

近くにある永福寺と並んで、西暦611年、

推古天皇の時代に創建されたと言われる、歴史の古いお寺です。

百済の聖王(聖明王)の子で、大内氏の祖とされる琳聖太子が、

創建したと伝えられています。

 

当初は「福生寺」という天台宗のお寺でしたが、

弘長年間(1261年~1264年)に

時宗の開祖・一遍がこの地を訪れた際、

時宗のお寺となり、名称も「専念寺」になりました。

「竜宮の鐘」にまつわる逸話があるそうです。

 

 

 

 

境内の奥に歴代和尚の墓が並んでおり、

その一番奥に「亀山天皇皇孫尊観親王墓」があります。

 

 

その前面には宮内庁が建てた看板があります。

かなり古いものに思えますが、

宮内庁ができたのは昭和24年(1949年)なので、

それ以降に建てられたもののはずです。

 

 

尊観親王(尊観法親王)は、亀山天皇の孫。

時宗の指導者である遊行上人(12代目)を務め、

1400年に当寺で死亡しました。

 

父親の常盤井宮恒明親王は亀山天皇の末子。

亀山天皇(当時上皇)が50歳を過ぎてから生まれた子供で、

大変可愛がられ、遺詔において、

次の大覚寺統の皇位継承者に指名されたほどでした。

しかし、鎌倉幕府や、兄・後宇多上皇によりそれは阻止され、

甥(と言っても恒明親王より年上)の後醍醐天皇が

皇位を継いでいます。

 

 

墓の場所はこちらです。