※誤って、書きかけの記事を投稿しておりました。
加筆修正の上、改めて投稿いたします。
申し訳ありませんでした(><;)
下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」の敷地内にある
「御大典記念栗林」の碑です。
昭和天皇の即位を祈念して、
昭和3年(1928年)に建てられたものです。
太翔館側は碑の裏側になるのですが、
上の部分は「昭和三年十一月 滝部」と記されています。
そして、下の部分ですが、
「滝部」の下に2列で文字が刻まれており、
向かって右側には「青年団」と記されています。
で、左側が読み取りにくいのですが、
「処女会」と記されているようです。
「処女会」というのは、女子青年団のことです。
当時「青年団」は男性のみの組織で、
結婚前の女性による組織を「処女会」、
結婚後の女性による組織を「婦人会」と呼びました。
元々「処女」とは、
結婚前の家に「処(い)」る「女」のことを指す単語でしたが、
大正時代の婦人解放の流れの中で、
今のような性的な意味が付与されるようになったそうです。
併せて、平塚らいてうや与謝野晶子らにより、
「初体験」に対する価値観が形成されていきました。
そして、内務省で処女会の普及に携わった教育者の天野藤男は、
「処女」という単語が新たに有した性的な意味を
若者のセクシュアリティの管理に利用するため、
「処女会」という名称を用いたとも言われています。
太翔館の場所はこちらです。


