下関市長府にある忌宮神社。
かつての長門国の一の宮は住吉神社ですが、
二の宮はここ忌宮神社です。
西暦193年、九州の熊襲の反乱を受け、
仲哀天皇はその征伐に向かいます。
そして、穴門の豊浦津にて豊浦宮を設け、
そこに7年ほど滞在したと伝えられています。
その豊浦宮があった場所が、
ここ忌宮神社の地だと言われています。
忌宮神社境内にある「豊浦皇居趾」の碑です。
昭和30年(1955年)に建てられたもので、
題字は、明治から昭和にかけて
裁判官、海軍法務局長、貴族院議員などを務め、
下関の実業界でも活躍した内田重成が揮毫しています。
このブログでも、何度も登場している人物ですね。
また、台座は元々大正5年(1916年)に建てられた、
忌宮公園落成の記念碑に用いられていたもので、
碑文が刻まれた銅板がはめこまれていたそうですが、
銅板は戦時中に供出されてしまっています。
碑の場所はこちらです。

