下関市豊北町滝部にある滝部八幡宮の摂末社・招魂社です。
その隣にある忠魂碑です。
題字の揮毫を行ったのは寺内正毅。
総理大臣のほか、陸軍大臣や外務大臣、
韓国併合時の初代朝鮮総督などを歴任しました。
碑には「元帥陸軍大将伯爵寺内正毅書」と記されています。
彼が元帥となったのは大正5年(1916年)、
その後、大正8年(1919年)に死去していますので、
揮毫はその間に行われたものと考えられます。
しかし、碑の手前に設置されている、
戦没者の名前が記された石版は、どうみても新しいものです。
これについては、碑の側面に埋め込まれた石版に
ヒントがあります。
「大東亜戦争終結五十年」の文字と、終戦51年目の
平成8年(1996年)8月15日に竣工したことが記されています。
この石版と、戦没者名が記されている石版のうち、
碑向かって右側の石版は、石の色が同じですので、
同時に設置したものと考えられます。
しかし、戦没者名が記されている石版は2つあります。
碑向かって左側の石版です。
向かって右側の石版には「名鑑」の見出しがありますが、
左側の石版にはそれがないので、
右側の石版より後に設置されたものではないかと思われます。
ちなみに、この2つの石版に記されている戦没者の数ですが、
「明治元年戊辰の役」1柱
「西南之役」1柱
「明治三十七、八年之戦役」「日露戦役」8柱
「支那事変」12柱
「大東亜戦争」135柱
となっています(数え間違いがあったら申し訳ありません。)。
つまり、寺内正毅が題字を揮毫した頃に
祀られていたのは10柱だったものが、
その後の戦争により、157柱となったと言えると思います。
滝部八幡宮の場所はこちらです。


