下関長府にある功山寺は、
八月十八日の政変で都を追われた三条実美ら七卿のうちの
5人が潜居していたことでも知られていますが、
彼ら五卿をこの地に迎える決断をした人物は、
その功山寺に眠っています。
その人物とは、長府藩次席家老であった三吉周亮です。
坂本龍馬とも交流があり、龍馬の信頼も厚かったそうです。
また、奇兵隊結成後、長州では
「長州藩諸隊」と呼ばれる多くの有志の部隊が結成されますが、
周亮はその1つであり、長府藩で結成された「報国隊」の
総督を務めたこともありました。
明治維新後は、鳥取県令を務めるなど
地方行政に多く携わっています。
……スミマセン(_ _。)
いや、写真は撮ったんですけどね。
Web上でいろいろ探しているうちに、
撮ったお墓が周亮のお墓である自信がなくなってしまいました(;^_^A
代わりに説明板をUPいたします(;´▽`A``
場所はこちら です。
※功山寺墓地入口をお示ししています。


