三浦将軍手栽 | ねりえ日和

ねりえ日和

本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

東行庵には「○○将軍手栽」「明治戊辰之春」と書かれた石碑が

5基あるそうです。


昨日 ご紹介した、時山将軍手栽の碑もその1つですが、

今日ご紹介する碑もその1つです。




東行庵に入った正面に、小原六六庵の詩碑があります。

その向かって左側に、

以前 ご紹介した山縣有朋の歌碑がありますが、

その2つの碑の間に、この碑が建っています。



「三浦将軍」とは、三浦梧楼のこと。

奇兵隊小隊司令を務めた人物です。


山縣有朋とは元々不仲であったそうで、

維新後の新政府が行った藩閥政治には反対していました。


明治28年(1895年)に朝鮮で

親露派の閔妃が暗殺される乙未事変が起きましたが、

それは、日本公使であった三浦らが策謀したものと言われています。


三浦はその後も枢密顧問官などを歴任。

大正時代には、藩閥政治打倒を目指し、

政界の黒幕として活動しました。



小原六六庵詩碑、山縣有朋歌碑の場所は

東行庵のホームページ でご確認いただけます。



ちなみに、今は枯れてしまっていますが、

碑のそばには松の木が植えられていたのだそうです。