氣と太陽と現象(生命体を含めて):氣の現象力学(現象科学):氣の哲学ー科学へ向けて
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11715437947.html
先に以上のように書いたが、単なる思いつきの寄せ集めである。
もう一度、より整合的に考えたい。
どうも、私の直観像がうまく言語化されていないという恨みがある。だから、それをもう一度試みたい。
これまでの考え方を整理しよう。
尚、次を参照されたい。
有氣体(氣的物質、生命体)と無氣体(純物質):氣=陰陽共鳴に拠る生命ー物質双体様態の有氣体 (11/26)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2043.html
1)根源は無双太極である。陰陽未分化様態、
いわば、混沌である。
2)それを図形化すれば、円を成形している。これを
元円(原円)と呼んでもいいだろう。
3)この元円が、陰陽円となる。元円と陰陽円は
即非様態である。即ち、
元円=陰陽円、且つ、元円≠陰陽円である。
4)そして、陰陽円であるが、それは氣自体である。
また、氣=陰陽極性=陰陽対極性である。
5)氣=陰陽は二つの方向で展開する。これを数式化
すると、
陰凹i*陽凸i⇒±1
となる。⇒-1は陽主導であり、⇒+1は
陰主導である。
6)鉱物は陽主導であり、なおかつ、右半円は
生命潜在態の様態である。そして、植物は陰主導
で右半円に属し、それから、動物は陽主導で、
左半円的になり、人間は再び、陰主導で、右半円
的になる。しかし、母権では、陰陽調和があ
るが、父権化によって、陽へ傾斜する。
つまり、父権化は、人間に陰主導の母権と陽主導
の父権の分裂様態をもたらす。次を参照:
無双太極⇒氣⇒陰陽共鳴(双体性)⇒鉱物(陽主導)⇒植物(陰陽調和)⇒動物(陽主導)⇒人間物(陰陽調和と陽極大と陰極大)
7)現代人類の課題は、陰主導性を取り戻し、
分裂様態を克服して、新しい
植物的陰陽調和様態へ進展することである。
ざっとであるが、以上である。
以上の図式には、太陽、日光の事象について、触れられていないが、直近のメモはそれについてのものである。
だから、単純に見て、両者の整合化が必要なのである。言い換えると、氣的生命図式と氣的太陽図式のすり合わせが必要ということである。
しかし、後者が不明確なので、ここで、氣的生命図式を背景にしつつも、再度、検討する必要がある。
端的に、問題は、氣と日光ないし太陽の関係なのである。
直観では、陰陽共鳴は両方向へ展開する。陽主導は⇒-1で物質・現象(可視界)志向であり、陰主導は⇒+1で生命体、絞って言えば、植物体志向である。
ここで、もう齟齬が生じる。即ち、⇒-1を可視界志向とするなら、⇒+1は不可視界志向ということになるから、それを植物体志向というのは齟齬となるのである。
ここで、作業仮説的に明確に首尾一貫させておく。
即ち、⇒-1(左半円)は陽主導(哲学的に言うと、連続化方向)であり、陽的現象をもたらし、⇒+1(右半円)は陰主導、つまり、陰陽調和志向であり、陰陽調和現象をもたらすと作業仮説する。
例えば、左半円は鉱物、動物、父権的ヒトが属し(-1は無氣物質)、右半円は、植物、母権的ヒトが属する(+1は有氣物質)。(尚、細菌、ウィルス等はおいておく。これは別に検討が必要である。それに根本的な検討が必要である。)
ただし、陽主導であるが、いわば、影、陰影として、陰主導が内包され、又、逆に、陰主導は陽主導を内包するように思われるのである。影、シャドーの内包である。
とまれ、以上のように作業仮説すると、新たに、
陰陽方程式:陰凹i*陽凸i⇒±1
とする。
すると、⇒のベクトルは、エネルゲイアを意味しよう。(ただし、これをエネルギーと呼ぶと物質エネルギーと混同されるので、今の段階では、エネルゲイアとする。)
⇒=エネルゲイアは、情報を内包した力動と考えられる。いわば、情報成形力動である。
これは生命現象で言えば、いわゆる、生命力ということになるだろうが、鉱物を含むので、現象成形力と言うべきである。東洋の言葉では、造化である。西洋では、天地創造である。
この現象成形力の二方向であるが、これを極性で捉えると、陰陽極性と混同されるだろう。
しかし、いちおう、陽成形力、陰成形力の二元論を見ておきたい。しかしながら、両者、相補的な面があると考える。だから、相補的二元陰ー陽成形力である。
しかし、今、はっきりさせておくが、この現象成形力(現象造形力と呼ぶ方がいいかもしれない。)は、氣ではない。氣から派生する力であり、いわば、物理的力である。そう、形而下的力である。それに対して、氣はあくまで、形而上的力である。(今日の科学は、当然、前者に関係するが、根本の氣の力学を見ていないために、暗黒物質【ダーク・マター)や暗黒エネルギー【ダーク・エネルギー】を仮説せざる得なくなっているのである。氣を前提にすれば、それらは氣の力学で説明できると思われる。)
次に、いよいよ、核心の、氣と太陽、日光の関係力学について整理する。
直観では当然、太陽は陰陽共鳴である。上図で言えば、原点(MP:メディア・ポイント)に、おそらく、原太陽があり、それが、⇒±1の両方向へ発現・発出するのである。
そうすると、太陽は二種類あることになるのではないだろうか。陽主導の太陽と陰主導の太陽である。
しかし、太陽は太陽である。とまれ、±1の両面太陽を考えておきたい。あくまで、一つの太陽である。
そして、太陽現象は当然、⇒±1であり、太陽の核心は原点(MP:メディア・ポイント)であり、それは、元太陽=陰陽共鳴である。
さらに言えば、その根源は一(いつ)としての氣=陰陽である。
だから、
氣=陰陽⇒元太陽(陰陽共鳴)⇒太陽(両面太陽)
となる。
次に、いよいよ、日光、現象光についてである。
以上から、それは当然、《陰陽方程式:陰凹i*陽i⇒±1》における±1が日光、現象光であると考えられる。
ならば、極言すれば、二つの日光があることになる。即ち、-1と+1である。しかしながら、両面日光ということで一つのものと見る。
さて、以上で、現象の陰陽力学と太陽・日光の陰陽力学を見てきたが、両者をすり合わせる必要がある。
整理しよう。《陰陽方程式:陰凹i*陽i⇒±1》において、⇒は、主に力動を、左辺の陰凹i*陽凸iを主に情報と見る。
そう、ここで、アリストテレス哲学の用語を用いれば、⇒はエネルゲイア(活動態:現実態と訳されるが)で、左辺はデュナミス(静的潜在態:可能態と訳される)となるだろう。
ここで、大空海(あえて、空海をこう呼びたい)の両界曼荼羅の哲学を想起すると、金剛界曼陀羅は左辺のデュナミスに、胎蔵界曼陀羅は⇒に相当するのではないだろうか。
簡便に言えば、前者は情報ないしイデアであり、後者はエネルギーである。つまり、前者を動態化してものが、後者であるということであり、エネルギー、正確には、エネルゲイアは情報・イデアを内包しているのである。だから、エネルゲイア(エネルギー)とは単純に量的なものでなく、智(霊智、氣智)の動的展開であるということと考えるのである。
そして、太陽、日光について考えると、太陽は⇒で、日光は両端の±1となるだろう。
太陽=⇒は当然、エネルゲイアであるから、現象情報・イデア・智(霊智・氣智)を内包しているのであるから、「知性体」である。
そして、±1の日光であるが、これをどうみるのか、である。
先に、太陽現象は⇒±1と上述した。
そう、±1はアリストテレス哲学の用語では、エンテレケイア(完全現実態:つまり、エネルゲイアの帰結である)に相当すると言える。
しかしながら、日光をエネルギー現象と見るならば、当然、⇒±1の太陽現象と見るべきである。
ならば、当然、日光も太陽現象の情報・イデア・智(霊智、氣智)を内包する「知性体」であると考えられよう。
もう少し精緻に言えば、±1とは、⇒のエネルゲイアの無い状態であり、無時間的である。つまり、時間を静止させた様態である。それは、つまり、死せるものである。死せる様態である。故に、日光というときは、それは死せるものではない。それは時間的に現象するのであるから、当然、⇒±1と見なくてはならないのである。
以上のように見て、現象陰陽力学と太陽陰陽力学を統合すると、氣=陰陽というデュナミス(静的潜在態)=イデア=金剛界曼陀羅は、元太陽そして、太陽現象を成形するのである。そして、それから、諸現象を造化・創造・成形・造形するのである。
そう、
0:始原は無双太極=陰陽未分化混沌=太霊・太水
であった。
1:初めに、氣=陰陽ありき、
2:次に、元太陽(=太陽と見ていいだろう)
ありき、
3:その次に、太陽現象=日光ありき、
4:それから、諸現象、鉱物・植物・動物・人類
ありき
(5:超人類としての森人類)
となる。
ゲーテが「もっと光を」、そして、D.H.ロレンスが「太陽から始めよ」と説いたのは、正に、大真理である。
さて、最後にシュタイナーの説く霊的太陽、D.H.ロレンスが説くダーク・サン(黒い太陽)について簡単に考えたい。
霊的太陽とは、氣=陰陽から生起する虚軸における陰陽共鳴交点(MP1)に生起する元太陽であり、太陽は実軸における陰陽共鳴交点(MP2)に生起すると言えよう。(PS理論、正確には、前期PS理論の考えは生きているのである。)
そう考えれば、ロレンスのダーク・サン(黒い太陽:正しくは、玄い太陽だろう)も霊的太陽と考えていいとなる。