二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊
陽主導の物質形成と陰陽共振:物質宇宙と暗黒宇宙:光と気と闇
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515239556.html
先に以上の、理論的にしどろもどろの試行錯誤を行なったが、少し冷静に考え直した。
問題は生命物質体の形成力学の的確な認識である。
これまで、生命物質形成は陽の同一性力学に拠ると述べてきたのである。そして、その力学は陰も同一性化して、マイナス(負)にするのである。つまり、陽の同一性化はプラス(正)であり、同一性力学は、陰陽をプラスとマイナス(正負)の極性に転換すると述べてきたのである。
この仮説に基づいて議論しなくてはならないのであり、そうでないと、秩序立った、首尾一貫した、整合的な理論考察はできなくなるのである。
では、それに従えば、陽主導で生命物質現象が形成されるのであり、その内部には、陰陽共振が内包されていると考えられる。
問題は、内包される陰陽共振作用である。これをこれまで、気的螺旋と見てきたのである。
先の議論と関係させると、この陰陽共振と陰主導の共振との関係はどういうものかということが問題である。
これまでの直観的前提では、陰陽共振とは、陽主導でも、陰主導でもない、陰陽均衡・平衡の作用である。陰が陽に差し込み、同時に、陽が陰に差し込み、相互的に両者差し込み、差し込まれる相互作用・相互形成があり、それが、気的螺旋体と考えるのである。
この気的螺旋体に陽主導の同一性力学が作用して、生命物質現象が生起すると考えるのである。
では、気的螺旋体に陰主導の力学が作用したらどうなるのだろうか。ここが問題の核である。(マルクスの常套句に倣えば、「ここがロドスだ、ここで跳べ」である。)
ここらへんの問題に関しては、確かに、私のイメージの混乱、あいまいさ、錯綜がある。
思うに、螺旋的生命物質体とは、そもそも陽主導の陰陽共振力学によって形成されるのではないのか。
陰陽均衡ならば、生命物質体の形成へ発動・始動しないのではないだろうか。つまり、陰陽イデアのままではないだろうか。言い換えると、陰陽共立、差異共立のままではないだろうか。アリストテレス哲学では、デュナミスに相当しよう。
陰陽均衡が破れることによって、動きが生起して、生命物質体への形成が為されるということではないか。
そう考えると、陰陽均衡による陰陽共振はあり得ないことになる。それは、陰陽共立のみ、静的な陰陽共立のみが存するということになる。
そのように作業仮説してさらに考察を進めよう。
ということで、陽主導で螺旋的生命物質体が形成される。つまり、螺旋的生命物質現象が生まれる、「創造」されるということである。(記紀神話の天之御中主神と高皇産霊神と神産霊神の三者による造化を想起する。最初が太一であり、後の二者が陰陽であろう。)
では、陽主導とは正反対の陰主導の場合ーこれが一番の問題であるがーどうなるのか。
当然、考えられるのは、これは、生命物質体、螺旋的生命物質現象を形成しないということである。
考察を展開する前に、確認しておかなくてはならないのは、陽主導に拠る螺旋的生命物質現象であるが、そこにおいて、気はどう作用しているのかということである。
思うに、やはり、内部というか軸、核、コアに気的螺旋のようなものが存していると思う。それは、陰陽均衡・陰陽共立の延長であるように思えるのである。
ここで、映画『スライブ』のトーラス、アップルの形を想起するといいのである。以下の上部半分の真ん中に軸に沿って螺旋が形成されているが、この軸と螺旋が、今述べた陰陽均衡・陰陽共立の延長のように思えるのである。しかしながら、ここには、時間が作用しているのだろう。軸ないし螺旋となるには、時間が作用していると思う。時間については別に検討したい。
さて、検討を進めよう。
本考察の核心の問題、陰主導の力学は何をもたらすのかを検討しよう。
以上の考察から、当然、陰陽均衡・陰陽共立をそれも引き継ぐのは確かと考えられる。言い換えると、原螺旋力学をもつということである。それは、渦動力学と言えるのではないだろうか。螺旋の根源としての渦動・渦流・渦巻・渦である。(それは、上画像のトーラスの真ん中の渦巻で描かれているように思われる。)
今考えようとしていたが、イメージが湧かないので、昨日の森の直観ヴィジョン的思索を借りれば、陰主導の陰陽共振宇宙は、暗黒渦巻宇宙である。螺旋より渦巻である。
そう、陽の主導性がまったくないので、同一性が成立しないのであり、物質形成が為されないのである。これは、陰陽共立よりも、その意味で徹底している。陰陽共立の場合は、まだ、陽の主体性があるので、原物質性があるだろう。
しかるに、陰主導になると、まったく陽の主体性がなく、原物質性もなくなるのである。つまり、前物質性がそこにはあると思われる。
陰陽共立が気であるなら、陰主導のもたらすものは、気ではないだろう。
精緻に考察しよう。陰陽共立の力は、気というよりは、原気である。陽主導によって、気へと展開するということではないかと思う。
では、陰主導の場合、この原気が何かに転換するということになるだろう。何になるのか。
直観では、太一の「気」である。ならば、太気、太一気、太極気である。あるいは、超気である。
気という言葉を使用すると、陽主導の場合と混同するので、ここで霊という言葉を使用する。
すると、陰主導によって、原気は太霊、太一霊になるのではないだろうか。
つまり、正に、太一・太極(造語して、祖一、祖極、原一、原極)と一体となるのではないだろうか。
そのように考えて、整理すると、陽主導によって、原気が気となり、螺旋的生命物質現象が形成される。
それに対して、陰主導によって原気が太霊となり、暗黒渦巻が形成される。
では、この太霊であるが、それは、太一と一致するので、それは、キリスト教的に言えば、聖霊となるのではないだろうか。また、プラトン哲学で言えば、天上的エロースとなるだろう。
ここで、キリスト教三位一体の用語に即して言うと、
父(ヤハウェ)=陽・・・「風」、「空」
子(キリスト)=陰・・・「海」
聖霊=太霊
となるのではないだろうか。
しかし、ここには、気ないし原気はない。
とは言え、気は父から生まれるだろう。そして、原気に当たるものは、ないようだ。
思うに、キリストから流れる「水」とは、聖霊=太霊ではないだろうか。
そう、それで想起するのは、宝瓶宮(水瓶座)の水である。それは、「海」の水ではなく、聖霊=太霊ではないだろうか。調和というより、和解、和共、和融、和合、等を意味しよう。
これで、ひとまず本問題の解明をここで終える。
追記:PS理論(プラトニック・シナジー理論)であるが、それは、先に述べたように、物質原理の理論であると思う。自己認識方程式と呼ばれた凸i*凹i⇒プラス1であるが、それは、物質原理を表わすと見れば、的確であると思う。
不連続的差異共振論から言えば、自己認識は、陽(自我)と陰(他者:不連続的差異、絶対的他者)の共立・共振であり、私の能力では、数式化はできない。
概念座標としては、やはり、三次元を想起すべきであるが、正しくは、七次元である。
追記2:D.H.ロレンスのダーク・ゴッドやダーク・サンであるが、前者は太一、後者は陰主導の暗黒宇宙の中心にほぼ相当するのではないだろうか。
ロレンスは希有の天才として、陰主導の人間であった。しかしながら、陽主導も強く残っていたので、中期において、混乱したのである。
参考:
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515239556.html
先に以上の、理論的にしどろもどろの試行錯誤を行なったが、少し冷静に考え直した。
問題は生命物質体の形成力学の的確な認識である。
これまで、生命物質形成は陽の同一性力学に拠ると述べてきたのである。そして、その力学は陰も同一性化して、マイナス(負)にするのである。つまり、陽の同一性化はプラス(正)であり、同一性力学は、陰陽をプラスとマイナス(正負)の極性に転換すると述べてきたのである。
この仮説に基づいて議論しなくてはならないのであり、そうでないと、秩序立った、首尾一貫した、整合的な理論考察はできなくなるのである。
では、それに従えば、陽主導で生命物質現象が形成されるのであり、その内部には、陰陽共振が内包されていると考えられる。
問題は、内包される陰陽共振作用である。これをこれまで、気的螺旋と見てきたのである。
先の議論と関係させると、この陰陽共振と陰主導の共振との関係はどういうものかということが問題である。
これまでの直観的前提では、陰陽共振とは、陽主導でも、陰主導でもない、陰陽均衡・平衡の作用である。陰が陽に差し込み、同時に、陽が陰に差し込み、相互的に両者差し込み、差し込まれる相互作用・相互形成があり、それが、気的螺旋体と考えるのである。
この気的螺旋体に陽主導の同一性力学が作用して、生命物質現象が生起すると考えるのである。
では、気的螺旋体に陰主導の力学が作用したらどうなるのだろうか。ここが問題の核である。(マルクスの常套句に倣えば、「ここがロドスだ、ここで跳べ」である。)
ここらへんの問題に関しては、確かに、私のイメージの混乱、あいまいさ、錯綜がある。
思うに、螺旋的生命物質体とは、そもそも陽主導の陰陽共振力学によって形成されるのではないのか。
陰陽均衡ならば、生命物質体の形成へ発動・始動しないのではないだろうか。つまり、陰陽イデアのままではないだろうか。言い換えると、陰陽共立、差異共立のままではないだろうか。アリストテレス哲学では、デュナミスに相当しよう。
陰陽均衡が破れることによって、動きが生起して、生命物質体への形成が為されるということではないか。
そう考えると、陰陽均衡による陰陽共振はあり得ないことになる。それは、陰陽共立のみ、静的な陰陽共立のみが存するということになる。
そのように作業仮説してさらに考察を進めよう。
ということで、陽主導で螺旋的生命物質体が形成される。つまり、螺旋的生命物質現象が生まれる、「創造」されるということである。(記紀神話の天之御中主神と高皇産霊神と神産霊神の三者による造化を想起する。最初が太一であり、後の二者が陰陽であろう。)
では、陽主導とは正反対の陰主導の場合ーこれが一番の問題であるがーどうなるのか。
当然、考えられるのは、これは、生命物質体、螺旋的生命物質現象を形成しないということである。
考察を展開する前に、確認しておかなくてはならないのは、陽主導に拠る螺旋的生命物質現象であるが、そこにおいて、気はどう作用しているのかということである。
思うに、やはり、内部というか軸、核、コアに気的螺旋のようなものが存していると思う。それは、陰陽均衡・陰陽共立の延長であるように思えるのである。
ここで、映画『スライブ』のトーラス、アップルの形を想起するといいのである。以下の上部半分の真ん中に軸に沿って螺旋が形成されているが、この軸と螺旋が、今述べた陰陽均衡・陰陽共立の延長のように思えるのである。しかしながら、ここには、時間が作用しているのだろう。軸ないし螺旋となるには、時間が作用していると思う。時間については別に検討したい。
(THRIVE Japanese) スライブ—いったい何が必要になるのか - YouTube
さて、検討を進めよう。
本考察の核心の問題、陰主導の力学は何をもたらすのかを検討しよう。
以上の考察から、当然、陰陽均衡・陰陽共立をそれも引き継ぐのは確かと考えられる。言い換えると、原螺旋力学をもつということである。それは、渦動力学と言えるのではないだろうか。螺旋の根源としての渦動・渦流・渦巻・渦である。(それは、上画像のトーラスの真ん中の渦巻で描かれているように思われる。)
今考えようとしていたが、イメージが湧かないので、昨日の森の直観ヴィジョン的思索を借りれば、陰主導の陰陽共振宇宙は、暗黒渦巻宇宙である。螺旋より渦巻である。
そう、陽の主導性がまったくないので、同一性が成立しないのであり、物質形成が為されないのである。これは、陰陽共立よりも、その意味で徹底している。陰陽共立の場合は、まだ、陽の主体性があるので、原物質性があるだろう。
しかるに、陰主導になると、まったく陽の主体性がなく、原物質性もなくなるのである。つまり、前物質性がそこにはあると思われる。
陰陽共立が気であるなら、陰主導のもたらすものは、気ではないだろう。
精緻に考察しよう。陰陽共立の力は、気というよりは、原気である。陽主導によって、気へと展開するということではないかと思う。
では、陰主導の場合、この原気が何かに転換するということになるだろう。何になるのか。
直観では、太一の「気」である。ならば、太気、太一気、太極気である。あるいは、超気である。
気という言葉を使用すると、陽主導の場合と混同するので、ここで霊という言葉を使用する。
すると、陰主導によって、原気は太霊、太一霊になるのではないだろうか。
つまり、正に、太一・太極(造語して、祖一、祖極、原一、原極)と一体となるのではないだろうか。
そのように考えて、整理すると、陽主導によって、原気が気となり、螺旋的生命物質現象が形成される。
それに対して、陰主導によって原気が太霊となり、暗黒渦巻が形成される。
では、この太霊であるが、それは、太一と一致するので、それは、キリスト教的に言えば、聖霊となるのではないだろうか。また、プラトン哲学で言えば、天上的エロースとなるだろう。
ここで、キリスト教三位一体の用語に即して言うと、
父(ヤハウェ)=陽・・・「風」、「空」
子(キリスト)=陰・・・「海」
聖霊=太霊
となるのではないだろうか。
しかし、ここには、気ないし原気はない。
とは言え、気は父から生まれるだろう。そして、原気に当たるものは、ないようだ。
思うに、キリストから流れる「水」とは、聖霊=太霊ではないだろうか。
そう、それで想起するのは、宝瓶宮(水瓶座)の水である。それは、「海」の水ではなく、聖霊=太霊ではないだろうか。調和というより、和解、和共、和融、和合、等を意味しよう。
これで、ひとまず本問題の解明をここで終える。
追記:PS理論(プラトニック・シナジー理論)であるが、それは、先に述べたように、物質原理の理論であると思う。自己認識方程式と呼ばれた凸i*凹i⇒プラス1であるが、それは、物質原理を表わすと見れば、的確であると思う。
不連続的差異共振論から言えば、自己認識は、陽(自我)と陰(他者:不連続的差異、絶対的他者)の共立・共振であり、私の能力では、数式化はできない。
概念座標としては、やはり、三次元を想起すべきであるが、正しくは、七次元である。
追記2:D.H.ロレンスのダーク・ゴッドやダーク・サンであるが、前者は太一、後者は陰主導の暗黒宇宙の中心にほぼ相当するのではないだろうか。
ロレンスは希有の天才として、陰主導の人間であった。しかしながら、陽主導も強く残っていたので、中期において、混乱したのである。
参考:
内在的超越点と陰陽平面
ざっと作図するが、以下のz軸とy軸は陰陽平面を形成する。基本的には陰陽円の世界であり、その中心にはMPがあり、そこに内在的超越点があるのではないだろうか。 以下の作図では、空間三次元(四元数的虚軸三次元)を書き込んでいない。 先・・・[2012年10月13日]