徳次郎宿で見逃せないのは二宮尊徳の晩年の事業である
二宮堰、石那田堰と日光街道より古く鎌倉時代に開かれた
という旧街道です。東照宮日光鎮座とともに人の往来が増え
賑いを見せたであろう日光街道とは対照的に旧街道は徐々に
寂れていったと思われますが、今日この道筋で特徴的なのは
寺と見紛うような旧家風の大きな家が多く庭先には地元特産の
徳次郎石(大谷石と同じ凝灰岩)の蔵が並んで年代を重ねた趣
を添えているところでしょうか。
室町時代の刀工守勝(徳次郎正宗)の鍛冶場跡
智賀都神社から徒歩10分程度。日光宇都宮自動車道の西側、旧街道沿い。
守勝鍛冶場跡の説明。刀剣の原料である鉄はどこで入手していたのか?室町時代にはたたら製鉄は広範囲に普及していたと思われるのでこの周辺に製鉄所があったとしても不思議ではないが。
伝法寺山門。門前地区とその周辺の菩提所。開山の祖妙哲禅師は足利尊氏に追われて京都から
下野へ逃れ貞和5年(1349)この伝法寺で亡くなったという。鎌倉浄智寺も同師の開山。
旧街道で見かける大きな家(池田家)。二宮堰の工事のとき尊徳が宿泊したといわれる。
旧街道の景色
二宮堰 宝木用水の完成は安政6年(1859)、尊徳はその前1856年に亡くなりました。
智賀都神社から田川の方へ歩いて5分程度。国道沿いに標識あり。
石那田(六本木)の一里塚は船生街道入り口(国道119号右側)にある。国道の反対側にも塚が残っている。