この香水名だけでとてつもなく惹かれてしまうのは、
やはり黒、blackという色がイメージさせる概念の偉大さを思い知らせてくれる。
 
キリアンの香水群にこの製品が加わったとき、
「ついに真打が来た」と思った。
名前だけでとても官能的な香りだと理解できたからだ。
 
そのせいか、海外の口コミサイトには、
香りを嗅いだこともないのに
「試すのが楽しみ」とか「きっと気に入ると思う」
という書き込みが相次いだ。
期待値大なのは私も同じだった。
 
けれど、すでに試した人の口コミの中には、
期待を打ち壊すような書き込みも多かった。
それは、ある人の書き込みに対して「わたしもそう思う」というものだった。
その書き込み内容とは、
「おばあちゃんの家の匂いみたい」というものだった。
 
セクシーなドレスを纏った美女をイメージしていたのに、
なんと孫がおばあちゃんを懐かしく思う気持ちを蜂起しているだって?!
私はその無数の書き込みを無視した。
だって、西洋のおばあちゃんの家の匂いと、
東洋のおばあちゃんの家の匂いが同じはずがないから。
 
だから、サンプルセットに対面した時に真っ先に試した香りはこれだった。
とても対面が楽しみだったのだ。
どんな官能的な香りだろう、とわくわくスプレーした後に、
私は妙な感覚に陥った。
 
たばことはちみつの、甘い香りだ。
ルタンスのミエルドゥボワの代わりにもなりそうだ。
なのに、思い出す景色は以下の通り。
 
みりんが効いた煮物のようなまったりとした匂い、
お線香の匂い、
すえたたばこの匂い、
どこかカビくさい木材の匂い、
ジャケットの樟脳の匂い、
下駄箱の革靴の匂い、
それらを一つにまとめているのは、
おばあちゃんの皮膚から発する黒蜜のような、
まろやかな甘い匂い。
まさに、おばあちゃんの家の匂いだったのだ。
 
おかしい。
洋の東西を問わず、おばあちゃんの家はこんな匂いなのか?
衣食住の様式はまるっきり異なるのに。
信じられなかったが、
でも、私の脳は確かにおばあちゃんの家の匂いを思い出した。
 
おばあちゃんの家の匂いじゃ、デートには付けていけない。
もちろん、デートの相手がそう感じるとは限らないし、
今日のお前どうした、いい女の匂いしてるぞ、と感じてくれる可能性はある。
しかし、大事なデートの装いの仕上げに、
おばあちゃんの家の匂いを付けたい人はいないだろう。
自分の気分が盛り上がってこその、勝負香水なのだから。
 
プルースト効果よ、私の期待をどうしてくれるんだ。
 
しかし、感心したこともある。、
嗅いだ瞬間を時間軸の「点」としたら、
過ぎ去った過去を思わせる時間軸の「経過」をその「点」で瞬時に感じさせるところ。
四次元を疑似体験できたことだ。
おばあちゃんの家の匂いは、
おばあちゃんが長い歳月を過ごした住処の記憶なのだ。
四角四面の三次元の世界に飽きたら、
嗅覚の旅行で四次元を垣間見てみるのはいかがだろうか。
フルサイズは高価だが、宇宙旅行よりは安い。
 
ちなみに、キリアンはこの香水に
aphrodisiac=媚薬と付けている。
制作サイドにとっては、媚薬の匂いなのだろう。
人間のイマジネーションは、限りなく面白い。
 
さて、香りを嗅いでみる前、
製品の名前だけを見て、洋の東西を問わずそれに惹かれてしまう現象が不思議だったが、
それは西洋の製品に慣れ親しんだから、
すっかり自分が感化されているせいだと思っていた。
しかし、おばあちゃんの家の匂いにも洋の東西を問わない現象を体感して、
自分が感化されていたのではなく、
人類に共通する感性の存在を感じた。
 
実は「おばあちゃんの家の匂い」なのに
嫌いという人は、欧米では少ない。
おばあちゃんを連想しつつも、それでも「セクシー」と書いている。
ここには自分の感覚との大きな乖離を痛感したが、
いい匂いであるから「セクシー」という感覚ならば、
確かに私もこの香りをいい匂いと感じるのだから、
きっとこの香りを上手につけこなした人とすれ違ったら、
セクシーと思うのかもしれない。
 
こういうものをひとつずつ認識していくことが、
本当のグローバル化なのではなかろうか。
世界が一つになるということは、こういうことなのではなかろうか。