自分が生きる意味など自分や他人誰もわからぬ。今の自分は人から求められる事もなく自分自身もやる気が出ずやる事も無いと日々悩んでおる者も多かろうて

生きておると言う事は何か欲しい物があったりやりたい事があるただそれだけで充分ぞ、例えそれが些細な事であってもそれが生きておると言う事でその物事に手を伸ばす事が生きている証になりそれが生きる意味である。

今自分が望む事があればそれでこの先も生きて行ける。誰も望まんでも自分が望めばそれで良いのであるそんな些細な事の積み重ねにより人生が成り立って行くのである。

人に望みや欲そして希望があるから世の中に仕事が出て来たり生き甲斐が生まれ世の中が回るのである今そんな世の中を回す力がないなら色んな事を望み仕事の種を蒔けば良いのである。
先を見るのも大事だが今目の前にある事をしっかり見て行動しておらぬと大事な事を逃すぞよ。

淡々つらつらと続いておる毎日が積み重ねられ面倒臭いや後でやれば良いと些細な事をやり残せば必ず後に付けが回ってくる。仕事でもプライベートでも些細で面倒臭い事も大事にする事しか未来を良くする術がない

自分の未来は遠い先にあるのでなく明日明後日と目に前にぶら下がっておるのである今日のやり残しを先でしておったらいつまで経っても変わらん日々が続いて行くだけであるぞよ

先を良くしたければやり残しをいつまでも持たん事ぞどんどん終わらせ次の新しき事を見つけ毎日ワクワクする楽しさを知れば良い未来を自然に手にしておる事ぞ
誰かの役に立ちたいと動いてみても結局何も出来ず役に立っていないと落ち込む事無かれ

今何も出来なくてもお前がそこにいるだけで良いのであるそれだけで充分役を果たしておる。

その場で何も出来ないなりにどうしたら良いかとひたすら考える考えられると言う事を相手の助けと思えば良いのである。そしてよくよく考えていたらささやかでも自分の出来る事が見えて来る事であろうぞ。ささやかでも今自分が出来る事をやればそれで充分である。
昨年から世が少しずつ動き始めておるぞよ動き始めは止まっておった気を動かそうとする気と止まっておろうとする気の間に摩擦が起きるそんな時は天災人災など色々な事が起こり混乱致すぞよ。

人間の世界でも新しき事を始めようとしてもどうしても思い通りに事が運ばず上手くは行かんかったであろうぞ歳が変わればそれらも少しずつ落ち着き始め物事が徐々に動き始める。しかし動き始めたからと言うて慌ててはならぬぞよ事を始めるにはタイミングが大事である。しっかりと計画準備を行いこれで良しと万全な時を待ち物事をゆるりと始める事である。今年は調子に乗ると失敗しやすい歳でもある故下準備に時間を掛ける事である。余裕を持ってゆっくり始まった事はゆっくりと育ち長く続いて行く事であろうぞ。


歳が大きくなり忘れやすくなる事は悪い事ではないぞよ。物事にいつまでもこだわりを持っておったらどんどん抱える荷物が増えるばかり荷物を一杯持っておったらいつまでも天国行きの切符は買えないのである。歳が大きくなればなるほど1つ2つといらんこだわり縛りを手放しその日暮らしで生きて行く位で暮らせば気持ちが楽になり日々が充実する。

認知症の者の世話をする者も大事な事を忘れてしまう事に腹が立ったり落胆したり日々辛く思うておる事であろうが自分の考え方を変えいらぬ物をどんどん手放して行っておるのだと思えば少しは気も楽になるであろうぞ。

忘れる事は悲しい事であるがまたありがたき事である。

仕事ごときでまっとうに生きるチャンスを捨てるな

仕事ごときで自分や他人を否定するな

仕事ごときで自分の大事な時間を使い込んでしまうな

仕事ごときで大事な命を捨てるな

生きる為に大事な大事な自分の仕事であるが自分や誰かが潰れてしまうなら仕事より人や命であるぞよ。
自分が自身に慣れてしまうと色んな事に鈍感になる。自分の心身の変化にもだが人の気持ちを察する力や人に対する優しさや気遣いする事にも疎くなる。

人間関係を上手くしたりステキな自分になりたければ今の自分に慣れない事である。当たり前の事を当たり前と思わずどんな事にも「ありがとう」と言葉にし常に新しい事に意識して触れて感動や感心したり自分の心の変化を楽しむ事である。いつでも心がワクワクしておれば仕事もプライベートも楽しむ事が出来る。自分が楽しくニコニコしておれば自分の周りの人をも幸せに出来るのである。
全ての者は日々歳を取って行く人生の中で今日が自分にとって一番若い日なのである。

明日の自分より若いと言う事は勢いがあると言う事である。何かやりたい事があれば今日が一番やれる時である。

尻込みしておれば日がどんどん過ぎ去りその内に勢いを無くして出来なくなる。グズグズ言わずまず今やってみる事である。

年月を重ねれば今度は経験を元に知恵が優ってくる今やり始めた事を継続し試行錯誤を重ねる努力を致せば今度は知恵がお前を助けてくれる。先で形が違って来たとしても今日やり始めた事が大元となり必ず意味のある事になって行くのである。
我が子は生まれてから今日まで愛情と手間を掛け慈しみ育てて来ておる故皆我が子には幸せな道を歩んでほしいと願うておるものぞ。

しかしいつの時代も親の思いと違う事を願うのが子である。自ら選んだ道を追いかけようとする姿は親からすればその道は間違っておったり実にならん様に思え不安でついつい一言言いたくなるが子は親の思いをよそに自分の信じた道を模索しながら進もうとするそうなると親の仕事は子の後ろ姿を見守るだけである。

親は子が幼き頃は分別を教え生き方や他人との関わり方などを事細かく時間を掛けて愛情を持って教えてやらねばならぬが時期が来れば子のやる事を黙って見守る事が仕事になる本当に親になるのは難しき事である。

子が自分が決めた道を考えながら責任を持って歩んで行くと必ず何かしらの種を手にする。思い通りの道と違ってもその種さえ落とさなければきっと何処かに小さな花が咲くその花を親は見て喜べば良いのであるぞよ。
今の時代自分の事だけは自分で決められる自由がある。人が何と言おうと自分の意志でその道に決めたら良いのである。

自分で決めると言う事は怖い事である。誰かがお前にはこの道が合っているからと決めてくれれば安心して進めるしもしダメだった時には自分が選んだ道ではないと人のせいにも出来るのだしかしその様な人が決めた道を歩むばかりであればそれはもう自分の人生では無いのかも知れぬ。

誰かの導きで進んだ道が自分に合っておりそこで花が咲けば言う事は無いがそうでなかった時には次こそ自分で道を探し決めるのである。自分で決める道は怖いが自分で決めたのなら最後まで責任を持ってやり遂げられようぞそれが決めると言う事である。

自分が何処の誰なのかわからん様になる前にいつも自分の良き所を探し続けそこを生かそうとしておれば自ずとどの道が良いのか好きなのか段々わかる様になる。自分を知れば色んな可能性が広がるのである。そして不安が出て来ても何とか乗り越えて行けるそんな器量が生まれるのじゃ。