こどものころ | 炙亀板の亀ブログ

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亀のまいにち

4月半ばに、仙台に住むおばが亡くなった。
母親は7人姉妹の上から3番目。亡くなったのは、母親のすぐ上の姉。
ここんちは、私の3歳上の従姉妹と、その6歳くらい上のお兄ちゃんがいる。

実家が近いこともあり、子供の頃からお世話になってきたので、通夜から葬儀、先日の納骨で実家に帰ってきた。

母親は7人姉妹で、そこに一人だけおじがいる。
結婚式と葬式は親戚が集まるので、久しぶりにおじおば、いとこたちに会えるかと思ったが、親の世代はみんな身体のどこかが思うように動かなくて来れないし、いとこたちも、それぞれの生活があるんで、全員集合とはならなかった。

私、喪主である従姉妹、そしてその上の年齢の従姉妹が久しぶりに顔を合わせ、直会の食事をいただきながら、昔、母親の実家に行った時の話になった。

母親の実家は、古い昭和の一軒家で、庭に柿や無花果の木があった。
花もたくさん植えられていて、夏休みに泊まりに行くと、マツバボタンが咲いていた。

従姉妹たちと、それぞれの思い出話。
私が三人の中で一番若いので、
お姉さんたちが話す祖母の思い出が私にはない。私が小学二年生の時に亡くなったし。

その家は、祖父が亡くなり、結婚せずにそこに住んでいた、母親の一番上の姉が亡くなった時に、唯一男の子のおじが相続して、駐車場にしていると聞いている。

まだ、そのおばが生きていた頃、私の父親と二人で、庭の手入れに行ったことがある。
無花果の木のそばに泰山木の木があり、白い花を咲かせていた。
父親が枝を切った中に、つぼみがついていたので、持ち帰り、開花を待った。
毎日、仕事から帰ると、咲いたかどうかの確認だ。
我が子の成長を見守るとはこんなことかと思いながら。
ある日、白く大きな花が咲いた。

あの泰山木の木はどうなったのだろう。
廊下の端っこにあった扉のついた本棚、引き出しのついた長火鉢。

天界でおばは、10年前に亡くなったおじに会えただろうか。
6月初め、お寺の山門の向かい側、青葉山の緑がきれいだった。