このブログは
福岡の猫カフェ
里親募集型保護猫×古民家カフェ『Cafe Gatto』の日常をつづったブログです。
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常に必要な物資です
物資送付先住所
〒811-3127 古賀市新原526 Cafe Gatto宛
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本日営業日
13時OPEN17時CLOSE
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12月17日開催 しめ縄づくりワークショップ
昨日からまた急に寒くなり、
猫たちも体調を崩すことが
多くなる季節。
先月、11月はくりお祭りも終わり、
12月に向けての準備前に
ホッと一息付けるかなと思った矢先に
立て続けに3匹の旅立ちがありました。
くりひこ、くまお、すみたん。
今日は、まだ書けていなかった
くまおのことを振り返りたいと思います。
11月5日に虹の橋へ旅立ったくまお。
実はくまおはガットを始める前から
ずっとお世話をしていた子。
毎日の排泄介助は
もう10年以上の日課となっていました。
ハンデを抱えてもなお懸命に生き、
周りの人や猫たちを癒してくれる
とにかく心優しい子でした。
くまおはCafeGattoの広報部長
という肩書をもっています。
CafeGattoは、ご存じの通り
里親募集型の猫カフェですが
店長のくりおと
広報部長のくまおは、里親募集をしていない
スタッフ猫で、ちょっと異なる存在でした。
カフェガットを始める前の事、
くまおとは2013年の1月に出会いました。
第一発見者は画伯でした。
その日、電車を降りて、
仕事先に向かって歩いていた画伯。
数十㍍前を歩いていた女性二人組が
車道のほうをみながら
何かしゃべっている様子。
その様子に違和感を感じて、
歩いていきながら見てみると
車道の脇に車にひかれて
うずくまっている黒猫を発見。
早く助けなきゃ!!
とにかくすぐに長女に電話。
幸い長女が自宅にて開業していたこともあり、
すぐに駆け付けてくれることに。
もう職場のすぐそばまで来ていたこともあり、
職場に事情を話し、
遅刻する旨を伝え、
長女の到着を待っている間、
使えそうなものも何も持っていないし、
どうやってくまおを保護したらいいのか
と考えていたところ
なんと、からだを引きずりながらも
動き出したくまお💦
危ない方へ行かないように
その場にとどまらせておきたかったけれど、
事故に遭った直後ということもあり
人間になにかされると焦ったのか
パニックになっていたくまおは
なかなか逃げて捕まらず。
強い力で抵抗し、
車の多い通りを横切りはじめたので
画伯もあわてて追いかけました。
(車は止まってくれました)
傷口は下になっていて見えませんでしたが、
怪我をしているだろうに
前足を使って必死に
体を引きずりながら逃げていくくまお。
車も何台も通り過ぎていく中、
そんな画伯の姿をみて
車で通りかかった女性が一人、
近くに停めて
降りてきてくれました。
その後、すぐに長女も到着。
その女性が「これを使ってください」と
エコバックのような袋をくれたので、
暴れてパニックのくまおを
こちらも必死でかかえて入れました。
長女の車に乗せ、近くの病院を調べて電話。
受け入れてもらえるのを確認し、
すぐに向かいました。
(その病院が、今お世話になっている病院。
くまおをきっかけにほかの子も行くようになりました。)
交通事故にあい、それでもまだ息があり
こんなに動き回れる子に出会ったのが
私たちも初めての経験だったので、
もうとにかく必死でした。
車にひかれたり、ぶつかったりして
血が出たり、後続車にひかれたりして
ひどい状態の子をみつけることはありますが・・・・
くまおは生きてくれていました。
保護するときはわからなかったけれど
病院で毛を刈って確認すると、
腰あたりがパックリ割れて
骨や肉が見えるような状態。
かなりひどい傷でした。
大がかりな手術になり、
助かるかもわからないと言われましたが、
大手術の末、一命をとりとめました。
発見したのが1月、
くまおが退院したのが、4月。
3か月という長期間の入院となりました。
長女の住まいが割と近くだったこともあり、
入院期間はできる限り通って
看護師さんと一緒に、
くまおのリハビリを行いました。
下半身不随の子をお世話することが初めてで
圧迫排尿の仕方などを教わりました。
(病院にいたころのくまお)
くまおに会ったことがある皆さんは、
穏やかで優しい癒しオーラに
あふれている子だと
知っていただいてるかと思いますが、
最初のころは威嚇もひどく
なかなか心を許してくれませんでした。
本当に熊のように力強くて大きくて、
そこからくまおという名前を付けました。
あんな傷を負い
びっくりしただろうし、
ショックだっただろうし
怖くなるのもわかります。
イカ耳くまお
でも少しずつ距離が縮まり
抱っこさせてくれるようになり
面会にいくと、ケージからでて
入院室を前足2本で力強く歩く姿を
見せてくれるようになりました。
入院室には
保護された子猫がいた時期もあり、
子猫を自分の懐にいれて
舐めてあげたりもしてくれたそうです。
これには看護師さんも感激されたそう。
傷も少しずつふさがっていきました。
自宅で一緒に過ごすようになって
周りの猫たちともすぐに仲良くなり、
猫団子になってよく寝ていました。
CafeGattoオープン時は
なし組で過ごしていたくまお。
その後自宅に戻ってしばらく過ごし、
今は成長して大きく育っている
みにおやつくしたち兄弟、
小春たちなどの子猫時代も
よくお世話をしてくれました。
↑左はまだ小さい頃の小春
↑卒業生メンマも
良くくまおのそばで寝てました。
人にも猫にも誰にでも優しくて
みんなに頼られて
くまおの周りには
いつも自然とみんなが集まっていました。
↑自宅で過ごしていた時のくまお
その隣にはこすけも一緒に寝てます。
甘夏組が誕生し、
こすけたちと一緒に再びCafeへ。
甘夏組に来てからも
デビューした子たちや
お部屋移動でやってきた子たちにも
穏やかに優しく
「大丈夫だよ」と伝えているかのようで
気持ちを落ち着かせてくれるような
安心するオーラが溢れていたくまお。
そんなくまおの力もあり、
甘夏組はとっても穏やかな
優しい空間になりました。
保護する前、
どこでどうやって生きていたのか
知る由もありませんが、
私たちはくまおと出会い
外で暮らす猫たちが
いかに危険と隣り合わせで生きているかを
改めて知りました。
外で危険な環境で生きる猫たちを減らしたい。
すべての猫におうちを
そう強く思うきっかけにもなりました。
そして、
10年半、毎日朝晩の日課だった
排泄介助。
はじめはなかなかコツを掴めずでしたが
くまおの協力のおかげでやってこれました。
↑2019年年末のくまおの圧迫排泄の様子
排泄介助ができるようになったのも
くまおと出会えたから。
↑カフェに来てからのくまおの圧迫排泄の様子
くまおから
いろんなことを教えてもらいました。
ありがとう、くまお。
これから先、
またいつか、
くまおのように
排泄介助が必要な子をお世話をすることが
あるかもしれません。
そんなときも自信をもって
受け入れることが出来ます。
くまおに教えてもらったことは
本当に数えきれません。
ありがとう。くまお。
静かに穏やかに包み込む懐の深さ。
前足だけで機敏に動き、爪とぎをしたり
上手に猫団子に入っていったりする
そんな姿にいつも感動をもらっていました。
おもちゃだって元気に追いかけて
ボールや猫じゃらしで
無邪気に遊ぶ姿もとっても愛らしかった。
爪とぎをしているときに
「お、元気だね!!すごいねくまお!」
と声をかけると
ちゃんとそれを聞いていて、
もっと見て見て❢
という感じで
さらにバリバリと爪を研いでみせ、
「どう?」と言わんばかりに振り返り
こちらの顔を見つめてくるくまお。
いつもそうやって
私たちを喜ばせてくれました。
↑前足を上手に使って力強くベッドへ登るくまお
そんな姿を見てまた、
「すごいね!カッコイイね!」って
褒めてあげると
くまおもまたとっても嬉しそうに
してました。
声をかけるといつも
しっかり顔を上げて答えてくれたくまお。
まさか入院して
そのまま甘夏組に帰ってこれなくなるなんて
思っていませんでした。
きっと元気になって帰ってくる!大丈夫!
そう信じながら毎日面会に行っていたので
亡くなったときは
とてもつらくて寂しくて。
ぽっかりと
心に穴が空いてしまったようで。
なかなか気持ちの整理もつかず
ブログも遅くなってしまいました。
入院中はできる限り毎日面会に行き、
酸素室に入っているくまおに
話しかけ、
すごいね。頑張ってるね。
大好きだよ。と毎日たくさん伝えました。
話しかけると、
くまおもいっぱいお返事をしてくれました。
少し覇気のない感じで
横たわっていた日も
しばらく声をかけていると
目に力が入ってくるというか
顔つきが変わる気がしました。
入院が始まって数日後
前足も強張ってきて
もう起き上がるのも
難しくなってきているようでしたが
声をかけながらマッサージしてあげると
帰るころにはまた自分で
少し立ち上がろうとする様子も
見せてくれました。
まるで心配そうに見ている私たちを
元気づけようとしてくれているようでした。
くまおはそういう優しい子だから
できるだけくまおの前では
私たちも元気で笑って
話しかけるように努めましたが
くまおはお見通しだったのかもしれません。
原因がわからなかったため
病院の先生たちも
あれこれと薬を変えながら思いつく限りの
治療を続けてくださっていました。
どれかが効いてくれれば、と
誰もが願いながら1日1日と過ぎていきましたが
目立った効果は現れずあっという間に1週間。
11/5は日曜日だったので
この日は営業の準備の前に朝から
ジジョダンも一緒に面会へ。
くまおは変わらず頑張ってくれていましたが
やはり状態は変わっていなくて、
先生たちからもいよいよできることが
ないかもしれないという話がでました。
少しでも良くなる見込みがあるならばと
入院を続けていましたが、
もう退院した方がくまおにとっても良いのでは
と皆で話しました。
ご飯も食べれず、おしっこもでなくて、
チューブなど入れてもらっていたので
退院してしまうと
もうすべてが断ち切られてしまうかも、
そう思うと、
なかなか退院の決断もできずにいましたが、
いよいよ状態も回復しないようならば、
酸素室は用意できるので、
退院してお家で様子をみようと決断。
この日のカフェの営業を終えて、
夕方迎えに来ることで
先生と話し、病院をでようとしたところ、
くまおがバタつく様子を見せた!と
慌てて先生が駐車場へ呼びに来られました。
すぐにどうこうはないと思うけど
日曜日のため看護師さんたちも
日中はおられず、
夕方様子を見に来るまでの間は
様子がわからないけれど、
このまま入院でよいですか?と。
もうこのまま連れて帰ろう。
そう判断し
急いで自宅の酸素室の準備を
電話で母にお願いし、
Cafeの営業は常連さんに
協力してもらえることになり
画伯は帰って
くまおに付き添うことにしました。
帰ってからのくまおは
表情もなんだか穏やかになり
ずっと画伯がそばで付き添いながら
水を飲ませたり、
少し食べたそうなしぐさを見せたので
ちゅーるをあげてみたり。
マッサージをすると喉を鳴らしてくれて
手を握ると握り返してくれたり
一緒にのんびり過ごしていたそうです。
長女・次女はカフェで
画伯から送られてくるくまおの様子を
ラインで確認しながら
なんだか顔つきもしっかりしていて
もしかしたら奇跡も起こるかも!!
なんてみんなで思って
まだ望みはあるかもしれない!!
と話していました。
が、
夜になって少し吐きたそうな
様子を見せたくまお。
吐きやすいように
体を傾けてあげると一気に吐きました。
腸の動きも悪くなっていたので
消化するのもなかなか難しくなっていました。
そのままくまおに声を掛けながら
様子を見守っていましたが
11/5 20時15分
くまおは静かに旅立ちました。
本当に静かにそう苦しむ様子はなく
スッと旅立っていったくまお。
皆で立ち会うことは出来なかったけど
大好きだった画伯がそばで見守っていたから
安心して旅立てたかな。
何度経験しても慣れることはない別れ。
何をどこまですべきだったのか
どこでどの判断をすべきだったのか
毎回そんなことを考えたり
想いは尽きません。
今まで出会ってきた猫たちみんなそうですが
私たちにとって、
かけがえのない存在だったくまお。
伝えたいことはたくさんあって
上手く文章にできなくて
なかなかブログを
書くことが出来ませんでした。
でもちゃんとくまおの頑張った姿や
くまおとの思い出を記しておきたくて
結局うまくまとまらずでしたが
ご報告させていただきました。
くまおから教わったたくさんのこと。
外で暮らすことの過酷さも、
生きる力強さも、
くまおは身をもって教えてくれました。
これからは私たちが
しっかりとくまおからのメッセージを
引き継いでこの先もたくさんの方へ
伝えていきたいと思います。
いつまでも泣いていると
優しいくまおはすぐに心配するから
ちゃんと前を向いて進んでいかなければ
と思います。
くまおのように力強く。
大好きなくまお。
ほんとうにありがとう。
おつかれさま。