(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 日本がまた国連安全保障理事会の常任理事国になることを目指すようだ。5月下旬の日米首脳会談で、日本のそんな希望を米国のバイデン大統領が支持すると言明したという。

 だが日本のそんな動きが現実となると、必ず障害にぶつかる。日本は現在の憲法下では、国連安保理が実行する平和維持活動などに必須の“集団的自衛権の行使”ができないからだ。

 だから万が一日本が常任理事国となれば、自国ができないことを、安保理のリーダーとして他国に指示する立場となる。そんな状態は偽善だとする批判が米国には年来存在するのだ。

集団的自衛権を行使できない日本

 5月23日の日米首脳会談後の共同記者会見で、岸田文雄首相は「バイデン大統領が日本の国連安保理の常任理事国入りを支持すると表明した」と誇らしげに発表した。「国連安保理が改革される際」という前提条件がついたとはいえ、岸田政権にとっては大歓迎の「バイデン大統領の支持」だった。今後、外務省が主体となってそのための動きが現実となるのだろう。

 日本政府は1990年代から、国連安保理の常任理事国入りへの希望を折に触れ表明してきた。

 周知のように国連の安全保障理事会は、国際的な平和と安全の保持のために平和維持活動(PKO)や平和執行活動(PEO)を実行する。国連を代表する部隊を紛争地域に送り、それら複数の国家からの部隊は必要に応じて集団で軍事行動をもとる。

 だが憲法9条の規定で集団的自衛権は行使できないとされる日本は、この国連の平和維持部隊にも、集団的自衛権の行使や戦闘地域での活動が予測される場合には参加できないことを内外に宣言してきた。

 こうした軍事力行使をも伴う国連の平和維持活動を決定し実行する主体が安全保障理事会である。同理事会は米英仏露中という常任理事国5カ国と、一定期限で交替する非常任理事国10カ国とで構成される。その組織内では、拒否権も与えられた5つの常任理事国が当然、主導権を保持している。

 国連では年来、この常任理事国の枠を拡大する案があり、そのなかに日本が入ろうとする試みも日本自身が手がけてきた歴史がある。その試みの推進では、同盟国であり国連全体でも発言力の強い米国の支持が欠かせなくなる。

 しかし日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指す動きに対して、実は米国側からの批判が年来存在してきた。

 つまり、日本が現在の憲法で集団的自衛権の行使を禁じられている状態のままでは、国連安保理の任務は果たせない。安保理常任理事国としての日本は、自国にできない行動を他国に実行させることになる。自分ができないこと、したくないことを他人にやらせる。人間同士の関係ではこんな態度は偽善であり、不公正である――という指摘である。

 国連の平和維持活動、平和執行活動は、軍事力の集団行使や軍事的危険を除外することはできないという自明の現実への言及だった。日本が本気で常任理事国になりたいのなら、避けては通れない関門なのだ。

「常任理事国になりたいならばまず憲法改正を」

 日本の集団的自衛権は、安倍晋三政権下で成立した平和安全法制により、「自国の存亡」に関わる事態での限定的行使は認められる道が開いた。だが、国連の平和・安全活動での集団的自衛権行使は、なお今も日本にとってはタブーのままである。

 米国からの批判的な見解で最も明確なのは、1994年1月に連邦議会上院が全会一致で採択した決議だった。ウィリアム・ロス議員(共和党)とケント・コンラッド議員(民主党)が共同で提出した決議案は以下のような骨子だった。

(1)日本は憲法の規定により軍事行動をともなう平和維持や平和執行の活動に参加できないと宣言している。

(2)日本が参加できないという国際安保活動なしには国連安保理の通常の機能は果たせない。

(3)日本が現状のまま常任理事国になった場合、普通の理事国の責任や義務も果たせない。

(4)日本は自国ができない国連安保理の軍事行動を決定し、他国に指示して他国の軍人を危険にさらすことは不公正であり、偽善である。

(5)だから米国は日本が憲法上のこの制限をなくすまでは日本の国連安保理常任理事国入りを支持すべきではない。

 以上の決議の背景には、当時のクリントン政権の日本の常任理事国入りへの支持の構えがあった。当時の日本の宮澤喜一政権が初めて常任理事国への名乗りの希望を表明したことへの対応だった。米国としては、たとえ大統領がその動きを支持しても議会は反対する、という意思表示だった。

 米国議会は明確な反対を示し、日本側に憲法の改正、あるいは規定の修正を求めたわけである。常任理事国になりたいならばまず憲法の改正を、という要請だった。

親日派の有力政治家が指摘していた日本国憲法の欠陥

 その後も、1994年後半にロス上院議員自身が村山富市政権の高官に同じ趣旨の要請を伝えていた。2004年には2代目ブッシュ政権のリチャード・ア―ミテ―ジ国務副長官が、小泉純一郎政権を支える自民党幹部に伝達した記録が存在する。

 ちなみにロス議員はすでに2003年に死亡したが、長年の知日派として知られていた。終戦直後に若き米軍将校として日本占領のGHQ(総司令部)に勤務してNHKの放送改革などを進めた経験もあった。その後、連邦議会の下院や上院の議員になってからも日米関係の強化に努めた。

 ロス議員は日米同盟堅持という立場からの日本への友好的姿勢で知られてきた。岸田内閣の現外務大臣の林芳正氏が、議員になる前にロス議員の事務所にインターンとし受け入れられた時期もある。

 米国で日本への友好や善意を長年示してきた有力政治家からも、日本国憲法の欠陥は30年以上も前から指摘されていたということになる。