占術&言霊メッセージ![]()
5番目のY様 お待たせしていて申し訳ありません![]()
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1の記事の続きです![]()
「上西門院」の記憶として蘇ったのは
季節は春、
新緑の萌えはじめた「熊野の参詣道」での映像でした^^
折しも2016年の4月、
まだ「上西門院」の記憶を思い出す前
今世の私も 同じように熊野にお参りして。
初めて来たはずなのに
「この風景、知っている気がする」
という不思議な感動に包まれたことを覚えています。
よみがえりの森、熊野古道。
今思うと、この旅を機に
自分の「過去世」が気になるようになって。
「熊野」という地が私に導いてくれた「よみがえり」とは
「過去世のたくさんの私」たちのことだったのでしょうか^^
姫は幼少期に「賀茂斎院」に選定されましたが
数年で「賀茂斎院」からは下がり
33歳で「上西門院」という院号を得る前は
「清和院」と呼ばれていたようです。
私の感覚としては
こちらの「清和院」という響きのほうが
馴染み深い気がします。
なので、以降は姫のことを「清和院」とさせてもらいますね。
史料と符号しない点も多々あるかと思いますが
ここからは私の感覚をベースに
記してゆきたいと思います^^
母である「待賢門院」は
とても熊野に縁の強い女性で
彼女は幾度となく熊野に「御幸」をしました。
初めは母の熊野詣に追従する形で(?)
清和院も熊野に詣でたのです。
アンテナが反応するのは
14歳。17歳。21歳です。
この年齢に該当する年号には、
確かに父であった鳥羽上皇による
「熊野御幸」が実施されています。
私が感じた「熊野詣」の記憶は
「17歳」の時の清和院の記憶のようでした。
旧暦の二月から三月にかけての御幸だったようで
新暦でいう、まさに「4月」に相当する季節だったのではと思います。
私は春の花を思わせる
「はねず色◆」の旅装束を身につけ
たくさんの侍従と、
すぐそばに一番親しい侍女を従えて
熊野への山道を歩きました。
笠の端から垂れる薄絹の合間から
山の木々の緑が 陽光にキラキラと光る様を眺め
熊野の偉大な山に香る神気を
胸いっぱいに吸いこむ道程は
とても清々しかったように思います。
「熊野詣」は「神事」なので、輿には乗りません。
どんなに身分が高い者でも、徒歩でゆくのです。
お供の侍女は、春の若葉を思わせる色彩の
着物を着ていたのを覚えています。
平安時代、「色」が表現し、伝えてくる目に視えない「趣き」は
とくに貴族たちの世界では、大切にされていました。
春の季節に、夏や秋や冬を想起させる色柄のものは着ません。
必ず、季節の彩(いろどり)に調和するように衣服を選んでいたのです。
それは、単なる贅沢ではなく
自然の美しさを意識した芸術でもあり「美学」でもありました。
きっと、平安の頃に清和院も歩いたはずの道。
清和院が歩をすすめる傍らに、
一人の山伏の青年がいました。
清和院と言葉こそ交わしませんが
行先に危険なものがないか
確認しては清和院の元にもどり
足場のよくない場所や
女性の身にはきつい道があれば
そっと手を引いてくれるのでした。
長く険しい熊野の道をともに行くうちに
お互いの間に
えもいわれぬような絆を感じ
いつしか清和院は
同行の山伏の青年に
ほのかな恋に似た想いを抱くようになりました。
ときどき、姫は薄絹をそっと手で上げて
山伏の青年を盗み見ます。
するとすぐに彼は気づき
姫を振り返るのです。
姫はうっすらと頬を染めて恥じらい、
さっと薄絹をおろしました。
そのうち、瞳と瞳を見交わしては
微笑み合うようになりました。
何かお話をしたい時は、
お供の侍女を通して会話をしていた気がします。
「熊野詣」の記憶はここまでです。
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この「山伏の青年」…
なんだか不思議に思いませんか?(^-^)
内親王という位の身分の高い皇女のそばを
一介の山伏の青年が寄り添い、そして手を引く…
身分の格差が絶対的なものだった当時に
たとえ「案内役」として山伏が同行していたとしても
果たしてそのようなふるまいが、できるでしょうか。
そう、この山伏は…
人間ではなく
熊野の神の眷属である
「烏天狗」が人の姿を取った存在だったのですね^^
この「山伏の青年」は
清和院と、そのお供の侍女にしか
視えていませんでした。
私が彼と、特に言葉を交わさなかったのは
心と心で通じ合っていたからです。
心に、ポッと灯火がともったような
胸の中が、くすぐったさでいっぱいになるような
嬉しく、暖かく、そしてほのかに切ない…
幸せな気持ちを覚えています。
そうそう、お供の侍女も
霊的な感性の持ち主で…
彼女は山伏姿の烏天狗と「会話」ができたのです^^
「侍女を通して ときどき会話をしていた」
という記憶は
「彼女の霊的な感性を通じて」
という意味だったのですね。
この時、熊野御幸の一団の道行を護るために
同じように山伏の姿の天狗たちが
複数名、一団に付き添っていました。
視えていた者も、そうでなかった者も
彼らに助けられながら
「熊野御幸」を果たすことができたのです。
いつの時代も
視えない存在たちのサポートがあって
私たちの生命は守られ
永らえているのでした。
烏天狗の青年の実直な優しさに
ほのかな恋心を抱いた清和院。
この時、烏天狗の青年の方も
姫に淡い想いを抱きます。
惹かれあいながらも
「精霊と人」という種族を超えての淡い恋は
けして、明確な形として実ることはなく
その後も姫は皇女としての道を生き
烏天狗の青年は
熊野の神の御許で修行の道を歩むことを選びましたが…
烏天狗の青年は姫を想い
あるとき、上司である大天狗に申し出て
熊野の山を出て姫のそばに行き、
守護をする役目を許されました。
そうして、彼は清和院の屋敷の庭に植えられた
背の高い落葉樹の頂きに座り
他の精霊たちと、いつも姫を見守っていたのでした。
前記事で 私やスピ友さんが視た
「木の上から姫を見ている誰か」の目線は
この烏天狗の目線であり、
彼が私やスピ友さんに見せた映像だったのですね^^
想い募って、
姫のそばにやってきた
烏天狗の青年でしたが
姫との男女の恋愛らしい交流は何ひとつ
ありませんでした。
烏天狗の青年は
「山を出て姫を護る」役目に就く時に
上司の大天狗と 何か約束を交わしたようで
その誓いを堅く守っていたようです。
けれど、一度だけ。
たった、一度だけ。
姫は、烏天狗の青年に体を抱かれて空を飛び
「ある景色」を見せてもらったのです。
それは、どこまでも果てしなく続く「すすき野原」の光景でした。
姫は烏天狗の青年の首に腕を回し
胸に体を預け、
風に揺れるすすきの穂を
長い間、見つめていました。
このとき、二人の間に
「ことば」はありませんでした。
息を呑むほど美しいススキ野原の高原の風景が、
姫の体を優しく強く抱き支える腕が
烏天狗の青年の
「あなた(姫)を想っています」の
言葉そのもので
姫は、全身全霊で烏天狗の青年の想いを
感じ、受け取りました。
その一度だけが
烏天狗の青年と姫の、
今でいう「デート」でした(笑)
この記憶を思い出した時は、
あとからあとから、涙があふれて止まりませんでしたが
今では、胸の中に残る、甘酸っぱいようなキュンとする気持ちとなって
改めて私の魂に刻まれた「宝の記憶」となっています。
なぜ、清和院の記憶の中で
これほどまでに「烏天狗との淡い恋」が
幸福な鮮やかな想い出として魂に刻まれているのかというと
この人生では、男女の恋愛をしたり
肉体関係を結んだりという体験がなく
「家族」は持ちましたが、ずっと独り身だったのですね。
幼少期に賀茂の神に「巫女」として捧げられた身で
その後も出家という形で「院」の称号を持ちました。
生涯を通して清らかな身でした。
そのような人生の中で
烏天狗の青年と交わした、ささやかな恋慕が
清和院にとって、とても大切なものになったようです。
さて、この時、私の熊野への道を護り導いてくれた
「烏天狗」さんは…
実は今、我が家にいます![]()
2017年5月、
香川の「金刀比羅宮」の「奥宮」で買った
「天狗守り」に
もう一体、別の天狗さんと一緒に宿って
我が家へやってきてくださったのでした。
奥宮の「天狗の面」を撮影した時の美しい光。
「縁」はつづいてゆきます。
貴方が私を大切に想い、
私が貴方を大切に想い続けるかぎり…
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