2月9日が母の命日。もう11年も経ったなぁ。

 

母が亡くなってから3年間、相談した医師や弁護士全員から裁判できないと弁護を断られたが、

私はあきらめなかった。

 

私は医療事故が無ければ、母がもっと生きられたことを証明したかったんだ。

その裁判は3年前に終わり4年を要したが、結果は1回目の和解金の倍額での和解になった。

 

入院中の母に挿入されていた血液透析用をカテーレルが抜けて、心肺停止し、意識が戻る事がなく

亡くたった医療事故だったが、裁判を始めても病院がその事故が死因であることを認めることはなかった。

 

しかし、それは私のモクロミ通りだった。

 

何故なら、病院が別の死因を主張する必要があって

その病院が主張してくる死因について、私は過失を見出していたからだ。

私が勝負するのは、カテーテル逸脱事故ではなく、病院が主張する死因だった。

 

その病気は特殊な腸炎で、一般の人には知られていない病気だった。

だから、私は病院が死因を主張するタイミングを裁判でずっと待っていた。

そして病院が死因を主張したのは証人尋問用を陳述書であって

私は証人尋問で初めて、勝負する病名に言及した。

最初から狙っていたカウンターだった。

そのカウンターに対して病院は逃れることはできず、倍額での和解になった。

 

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このような経験から現在は、医療過誤原告の会で行われている月1回ペースの相談対応を行っている。

以下ホームページの資料閲覧会が該当する。

起きたこと、相談したいことを話せる環境は重要だと私は思う

また、相談対応だけでなくその会場には医療事故情報センターが発行している裁判の鑑定記録や医療裁判に係わった医師などのファイルを備えている。

病名から検索して医師を探せる可能性がある。

会員優先だが、非会員でも参加可能で参加は無料です。場所は都内。

参加は、医療過誤原告の会に連絡願います。

 

http://www.genkoku.net/

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私の裁判の和解の条件に病院を責めてはいけないという条件がある。

だから、プログを書く気持ちになれなかった。

病院を責めるのではなく、被害者を少しでも支援したいと私は思う。

自分だけで抱え込まないで、被害者間で交流することで気持ちを整られることだってあると思う。

 

以上

決着

私が契約している弁護士は3人。
今週、そのうちの一人が、私にこう言いました。
『あなたが病院とやりとりした事故当初の記録からは想像できない決着だ』と。

入院していた母の大静脈にさしてあった血液透析用のカテーテルが抜け、約30分の心肺停止。

その2日後、消化器内科の部長が打ち合わせで発した言葉は衝撃だった。

『一度、助けてやったんだから感謝しろ!』
そして10日後、意識が戻ることなく、母は亡くなった。それは(もうすぐ)8年も前になる。

当時、私は感情的になり、そしてうまく整理することができなかった。

母が亡くなって半年で証拠保全したものの、当時の弁護士から医師に調べてほしいこと
を書いてといわれて・・・適正に書くことができず、医師に検定依頼もできなかった。
そして当時の弁護士はギブアップ。

それからというと、多くの弁護士、医師から私は弁護を断れられた。
なぜかといえば、母は糖尿病患者で両目が見えず、透析も5年行っていた。
年齢は当時70歳。裁判すれば既病によるもので済まされてしまう。
そして多くの弁護士、医師からこういわれた。
『あなたはそのカテーテルがなぜ逸脱したか証明できますか?』と。
亡くなったこととの因果関係を示せないと裁判なんてできないよ!

その当時、その問いに私は答えることができなかった。

でも私はあきらめなかった。
最初からわかる人なんていないんだ。
後で振り返ったとき、できたことだったと思えたら後悔になるんだ。

それから2年後、私は裁判をすることにした。
私には自信があった。それを支えるのは自ら徹底分析したこと、そして私には戦略があった。
その戦略・・

一つ目はカテーテルが抜けたことを焦点しないこと。
なぜ抜けてしまったかを証明することは難しいけど、
焦点を変えれば裁判になる。そしてそれは医学的に証明できる。私には策があった。

二つ目は助けてやったから感謝しろと言われた病気を最終的な焦点にすることだった。
実際この1年、この病気について争っていた。

わたしはパートナー達にプレゼンすることで裁判をその方向に誘導し
この戦略を実行した。

そしてこの12月、決着を迎えた。裁判としても4年要した。

私の弁護士たちの言葉を使うと『病院側の全面降伏』だ。
和解だけれども、中身は私の勝ち!

これから、私の戦略を語りたいと思う。

以上
昨日(12/5)、医療過誤原告の会のシンポジウムが開かれ、
約80名の方々の参加で、
新しい事故調制度の問題点について議論されました。
予期せず、亡くなった方が対象になりますが、この制度には問題があります。
その予期しないという判断が医療機関の自己申告だからです。
医療機関が予期できたと判断すれば、調査の対象外になっちゃう。
でも、制度がことはできた前進です。

シンポジウム後、会長や幹部の方に私の裁判の状況を報告しました。

もう、私の負けはないってね。

今月も出廷予定で注力中。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151205/k10010331111000.html

7年前、母が横須賀のある共済病院に入院中、命に係わるチューブが抜け、多量出血、

意識が戻ることなく亡くなった。


そして、病院が私が説明した事故原因は、母自身が抜いたというものだった。

ところが、チューブは皮膚にテープで貼られていたが、手先ではがされた形跡はなかったらしい。


このような説明に無理があり、自然に抜けてしまったといっているように感じた。

人命に係わることにも関わらず、なんていい加減な病院なんだと自分は思った。


でも自然に抜けるなんてありえない。抜けたには理由がある。

実は、病院は真実を隠ぺいしている事を私は知っている。


チューブやテープ、そして出血量が推定されるかもしれないシーツなど

私に見せることなく即座に処分して事実を隠し、関係者は全員

病院を退職させる(問題が起きたときに行ういつもの)方法でね。


今月(2015年7月)、私の裁判を見てもらっていたるドクターの意見書

第二弾を裁判所に提出したが、その意見書に私が主張していたその原因を

明記してもらった。

この医師の意見書は、証拠として扱われる。


その原因を一言で言えば、事故が起きた昼の時点で

すでにチューブは抜けかかっていたのである。


少し具体的に記載してみると、

母は、その昼間、血液透析を行おうしたところ血液循環しなかった。

これが、どういう状況かは、医師の処置でわかる。


カテーテルの根本と皮膚は糸でつなげられているが、

医師は、その糸の遊びの範囲内で抜く方向に引っ張って再設置した。


このことは血管への差し込みが浅くなり、体内で15.5cmと長いカテーテルが

たるでしまっていたと考えられる。

体内部が上半身で対外部を太ももと離れていることでカテーテルが動きやすい

ことも影響を与えていた。

その状況のまま、処置をせずに母を病室にした。抜けやすい状況のままでね。


さらに、以上のことは看護師へ申し送りされている記録が

インシデンント・アクシデント・レポートに残されている。


そしてそのレポートには、師長の言葉でこう記載されている

『根本が糸で固定されていたから大丈夫だろう?』って。


単に、抜けやすい状態で弾性力で抜けただけにも関わらず、

この病院は、平気で言うのです。手足を拘束するplan中との記録が残されている

にも拘わらず、病院は私に言うのです。母自身が抜いたと!


それ以前に、この病院は、裁判で主張するのです。

出血で30分の心肺停止に陥ったことが生命に影響を与えないって。

でも、母は、実際にところ亡くなっているから別の死因が必要ですよね。


その病院が主張している出血以外の死因の病気について、

私は裁判で誰も主張していない病名を出した。

(この病院、病名も間違っているんだから、俺が教えてやるよ)


この件については、協力医師の第一弾の意見書に記載し提出済み

これも病院の過失。

私は、とことん、裁判を頑張ります。

7年前、母が横須賀のある共済病院に入院中、命に係わるチューブが抜け、多量出血、

意識が戻ることなく亡くなった。


母が亡くなった翌月、一人の弁護士と契約した私は、すぐに証拠保全をした。

証拠保全とは、訴えの対象となる証拠を確保する手続きで裁判官の立ち合いで

行う。証拠保全の目的はカルテなどの改ざんや破棄させないことにある。

この将校保全を行うときに注意するポイントがある。

それは、病院側に当日まで証拠保全やるぞと示さず、行うこと。

なぜなら、事前に知らせたら、やばいものを処分してしまう恐れがあるからである。

私は、しっかり母が亡くなった半年で、証拠保全をすることができた。


そして、命に係わるチューブが抜けたか、その証拠保全した資料を分析した。


命に係わるチューブが抜けた時間は、深夜2時すぎ。

私が注目したのは、その前日の昼間に『起こったこと』だった。


母は、糖尿病を患っていて、血液透析を週に3回行う必要があり

この日、母はその血液透析を行う日であった。

午前10時30分に病室から院内の透析センターに移動させられた母が、

病室に戻ってきた時刻は18時30分。


通常、血液透析の時間は、準備含め4時間から5時間程度。

でもこの日、なぜか8時間30分も時間がかかっている。


そう、明らかに母が血液透析センターにいた時間が長すぎる。


なぜ、こんなに長くなったのか?

私は、調べた。


すると、事故の原因、『病院が隠していること』が見えてきたのである。



7年前、母が横須賀のある共済病院に入院中、命に係わるチューブが抜け、多量出血、

意識が戻ることなく亡くなった。

外科部長からは、重力で抜けたといわれ、

消化器内科の部長からは、一度助けてやったんだから感謝しろといわれ、

事務部長からは、他の病院に聞けと言われた。

そして、その二か月後、病院長から回答が郵送されてきた。

その内容は、事故は母がチューブを抜いたことで起きたと思われ、病院に法的に責任は

ないということだった。

その報告書には、どう看護していたなんて、もちろん記載されていなかった。


でも、私は、真実を知っている。

それは病院の過失だ。


私は、裁判を起こす前、徹底的に分析した。


まず、そのチューブの設置状況。

上半身の体内に15.5mのカテーテルが挿入され、

体の外側において、下半身のもも上に二重のテープと糸でその

カテーテルは、固定されていた。


すなわち、上半身と下半身、両方使用して設定されていた。


続いて、その設置状況を撮影されていたレントゲンで見た。

事故当日の画像はないものの、3日分の画像が残されてていた。

その画像を見てみると、

上半身内のカテーテルは、15.5cmと長く、シリコン材質であるため

たるんでいて、日付ごとに比較してると、そのたるみ方にも違いが見られた。


これは、カテーテルは大静脈に刺されているのだが、その大静脈は

固定されているものではなく、体を動かすことなどにより上半身と下半身に

マタイデ刺されているカテーテルも動くことを示唆している。


そして、ポイントは事故が起きる前日の昼に起きたアクシデントだ。

そのアクシデントから命に係わるチューブがなぜ抜けたのかがわかる。

病院はこのアクシデントの事実を隠ぺいしている。

次回、そのアクシデントについて記載したいと思う。

以上



平成20年1月27日、午前2時25分、私の携帯が鳴った。

母が入院している病院からだった。

私は、深夜のこの時刻に病院から呼び出したのである。


そして、病院に駆けつけると、3人ががりで心臓マッサージを受けている母の姿があった。

私はその病室に入ろうとした。

すると、当直医に引き止められ、別の部屋に通される。

私は、その当直医から命に係わるチューブが抜けて肺停止状態となり、

その抜けた原因はわからないと説明を受けた。


私は急いで妹も電話で病院に呼びだした。

そして駆けつけた妹が見たのは、まだ出血し、その血でシーツまで真っ赤に染まった

母の状況だった。


そして数十分たった時、母の心肺が戻ったと伝えられ、ICUに移動するよう指示があった。


その時である。病院は、抜けてしまったチューブやそれを固定していたテープなどを

私に説明することなく処分してしまった。


こうしてこの病院の工作が『始まった。』


この事故は単なる偶然で起きてものだと、当時の私は思っていた。

実際にはどうだったんであろうか。


また、首に溜まった膿をとるため、1週間の予定で入院した母が、

なぜ、この事故にあうまで寝たきり状態まで悪化してしまったのか。


1週間の予定で入院した母が寝たきり状態になったには、理由がある。

チュープがぬけたことにも理由がある。と思いませんか?


病院は裁判になると、その出血は死因と関係ないと主張している


実は、病院がこのように主張することは、データ分析から

私は予想していた。


そう、病院に好きに主張させた後、そうでない根拠を記録と医療概念を

もって戦う、それが私の戦略であった。

そして、裁判は私の思惑どおりに進行している。


これから真実を書いていきたいと思う。

以上






リアルに裁判を3年以上している私。

裁判は勝負事で、かけひきが重要、だから私は情報発信を断っていた。

でも、2月23日、私が裁判所に提出する資料で全て相手に手の内を見せることになる。


そしてその裁判、今どうなっているか、まずは以下の集会で会長や幹部の方々に状況を報告したいと

思う。


医療過誤原告の会・関東地区 交流集会  参加費 無料

日時 2015年3月15日(日)13:30~16:30      場所 滝野川会館5F小ホール(北区西ヶ原1-23-3)

http://www.genkoku.net/


以上

入院中、透析用のカテーテルがぬけて出血性ショック、心肺停止。

蘇生するも、意識が戻ることなく母は亡くなった。

その母が亡くなったのは6年前になる。

そしてその裁判は三年目を迎え、8月に山場を迎える。

それは私と医師3人、母を最後に動かした看護師を対象にした尋問である。

ここで裁判の状況を少し話したいと思う。

裁判する前においてこの横須賀の病院は、何故カテーテルが抜けたのかという視点で

私を説得しようとした。

・重力で腕がひっかかって抜けた。

・皮膚との遊びで抜けた。

・母が抜いた。

内容がひどすぎて、呆れるばかり。

そして裁判が始まると、この病院は別の主張をすることとなる。

カテーテルが抜けることは、非回避に起こりうること。

カテーテルを挿していたのが静脈(大腿静脈)であったため、通常であれば

逸脱してもショックをきたすような出血を生じないが、


母が感染コントロールが不良な状態だったためにショック状態に陥ったとし、

その前の腸閉塞による感染症で亡くなったと主張したのである。


この主張、正直言って素人だましであると断言できる。

まず、静脈と動脈とは何か話すると、動脈とは酸素を多く含んだ血液を流す血管、静脈とは、二酸化炭素を多く含んだ血液を流す血管である。そのそれぞれの血液を動脈血、静脈血という。

人間は、肺で酸素を吸って、二酸化炭素を吐く。

その酸素を多く含んだ血液を心臓がポンプのように体全体に送り、そして二酸化炭素を

多く含んだ血液が静脈によって心臓にもどす。

したがって、動脈でも静脈でも、血液が多く流れる血管が存在している。

この病院は警察にも静脈血だから出血量がわからないと報告している。


でも、抜けたカテーテルが挿されていた大腿(だいたい)静脈は、股の部分の静脈で複数の静脈が合流した血液の流量が見込める大静脈である。


そもそもこのカテーテルを使用していた目的を述べると明確だ。

その目的は血液透析である。

血液透析は、血液をろ過するようなもので、血液を循環させる必要がある。

その時間が短いと統計的に寿命が短くなるとされ、その時間が長くなると患者負担が

高まり、体内中毒も起こる。

このガイドラインがあって、1分間あたり、0.18リットルから0.2リットルの

血液循環が望ましいとしている。

そのため、血液患者は、シャントといって血管をパイパスすることで皮膚表面に近い血管を

挿しても血液流量を得られるようにして透析を受けている。

母の場合、腸閉塞時にそのシャントがつぶれてしまったため、大腿静脈を使用したのである。

だから、血液透析するためには、血液循環できる血管に挿さなくては意味がなく

大腿静脈はその0.2リットルの血液流量が見込めるのである。

大腿静脈は、よく交通事故などで輸血するときなどに使用される。

挿しやすく、血液を短い時間に供給できるからである。


ただ、大腿静脈を常時使用しないには訳がある。

陰部に近く、その挿しこんだ開口部から感染し合併症にいたるリスクがあるためである。


この病院は、抜けたら感染による合併症に陥る可能性があるにも関わらず、抜けてもしかたないと感染による合併を全く気にしたい看護体制ととっていた。

にも関わらず母が感染症で亡くなったと平然と主張している。

おかしいでしょ。


母が透析患者で感染しやすいとか、出血しやすいと主張するなら

それに応じた看護をすべきだった。

でも健全な人でも血液透析のチューブが抜けたら、命にかかわる。

先日ニュースがあったようにあたりまえ。


何故なら、脳の4本ある血管のどこかで詰っただけでもマヒがおこり

脳は蓄積することができないから常に血液循環が必要で出

血して脳に血液循環されないと脳の細胞は3分で破壊する。

一度、破壊された脳の細胞は二度ともとに戻らない。

植物人間になっていまう。そう、母もそうなってしまった。


それでも何故、病院は、抜けてもよいと考えているのか。

私に対して盲目のためひっかけるリスクがあると、四肢の拘束承諾書に署名させておきながら、拘束せず、ベットサイドで見ていたから問題ないと病院は裁判で主張している。

3分未満の時間でチェックできるわけがない


でも、拘束しないでよいと当時の主治医が追認していたという。

私は、8月の人証の一人にその主治医を指名した。

-----------入院・診療経緯---------------------------------------------------

母は、首の膿を抗生剤にて減らすため、

2週間の予定で入院したのが11月30日。

入院時の説明資料では1週間と記載されているように

念のための入院だった。

その首の化膿は抗生剤では無くならず、手術で除去したが、

その手術を行ったことで 母は口から食べられなくなってしまった。

12月27日、主治医から消化管の出血の疑いがあると説明を

受け、年明けに内視鏡検査を行うと説明を受けていた。

しかし、炎症部位を鑑別する検査は行われなかった。

そして、1月10日、腸が破裂してしまう。

外科医師から胃に穴があいてしまい手術しても、成功率0.01%,それでも手術するかと言われた。

私は、胃に穴が開いたと思わなかった。

その直前、母にどこが痛いか、聞いていたから。

母が痛いと言っていたのは、へそより下だ。私は可能性があると考え、手術することを決断。


手術してみると、胃ではなく腸だったため、手術は成功した。

その後、母は回復傾向であり、一般病棟に移されていた。


1月27日AM2時20分頃、血液透析用のカテーテルが抜けて、多量出血,意識がなくなる。

そして外科部長は、私に重力でカテが抜けたと説明。

その後日の打ち合わせで、病院側は、母自身が抜いたとしか考えられるといってきた。

でも、私は知っていた。

母にカテを抜く力がないことを、そして、そのことを知っている

医師がいることを。

その医師とはリハビリ医師。

その打ち合わせで私は、そのリハビリ医師を私は、引きずりだし

母がカテを抜けないと発言させた。


すると、消化器内科の医師は、皮膚との遊びで抜けたとしか

考えられないといってきた。

その消化器内科の医師は、**という病気知っているのか、そんな大変な病気を一度助けてやったんだから感謝しろと。

いいだした。

一方、病院は、母をどう看護していたか、すら、説明をしなかった。


そして、母は、意識が戻ることなく2月9日に亡くなってしまう。


その後の打ち合わせで、事務部長は私たち家族に

以下のように発言した。


他の医療機関に聞けと。


私は、納得できず、4年近くかけて準備し裁判することにした。


私は、戦略上、メインの訴えに

腸の穿孔や、カテーテル逸脱ではなく、

私が見つけた医師のテクニカルミスを掲げて勝負することにした。



母を亡くして6年半、私は、独学とヒヤリング、そして弁護士たちにプレゼンをして

裁判を闘ってきました。

そのため今まで医療過誤原告の会などの団体と接点を持っていませんでした。

しかしながら、様々な思いがあり、先日、私は、医療過誤原告の会に入会することにしました。


早速、6月29日の午後、体調さえ問題なければ、関東地区集会に参加します。


裁判で戦っている方の話を聞いて、勉強させていただいてもらおうと思います。


そして、私の件についても、10分程度ですが話させていただく予定です。

また、その場で8月に行われる人証の傍聴依頼をさせていただきます。



医療過誤原告の会 HP

http://www.genkoku.net/main.html

日時: 2014629日(日)133017

場所: 白金いきいきプラザ集会室(港区白金3-10-12 (03-3441-3680)

    南北線・三田線 白金高輪駅 徒歩8

    田町駅・新橋駅から渋谷行 三光坂下下車 徒歩2

内容: 医療事故被害者の交流、闘いの報告

参加: 事前登録不要、非会員参加可