「今日も」の間違いじゃないだろうか(笑)
今すごく我慢してるんです。
すごく。
わからないから。
いや、無力感を既に感じているんです。
今お稽古中の作品で、
私が気にかけておくべきアクターさんは何人かいらっしゃいます。
たぶん、私は出演者中でも、割と気にかけておくべき範囲が多い役どころだと思います。
しかしながら、
主演の藤本さんとは、お稽古の合わせの中でほぼやってしまおうと思っているのです。
自分がしっかり準備をしてくれば、藤本さんとは、お稽古内での提案と擦り合わせで本来ある程度は済むものだと考えます。
何故なら藤本さんは、
全ての役柄とそれをやらないといけない、さらに+α要求されているシーンも多数おありなので、負担をお掛けしたくないのです。
他の役者さんへも、基本はそのスタンスでお稽古に挑みたいと思っているのです。
私は、お稽古は発表の場であるという考えですから。
お稽古は練習する場ではない。
前置きが長くなりましたけれども、
私がたった一人、お稽古で合わせるだけでは絶対に足りない!と感じた役柄の方がいらっしゃるんです。
絶対なんて言葉、そうそう使いたいものではないのですが、そう思ったのです。
それは、相手の方がどうこう、ではないのです。
今回、私の役柄には、親しい人がいます。
その役とその役を務められる役者さんを、
私は恐らく過剰と云われても仕方がないほど気にしているのです。
たまたまなんですが、その方は役が決まる前から、
人見知り全開の私が珍しく、素直に仲良くなりたいなと思ったんですよ。
上手に言えないんですけどね。
わたくし本当に人見知りヒドいですよ(笑)
ヒドいけど、その人にはそうでもなくて、そーゆーのって地味に嬉しいんですよね(笑)
で、役の間柄を知ったんです。
相手の役者さんは、とてもお若い方なのです。
更にお互いの得手不得手がほぼ真逆で、
役者同士として、補い合って、信頼関係を作れたら理想だなと思いました。
実際、たくさん見せ方の面で指導して貰いました。
一方で、私は上手に伝える自信がありませんでした。技術で留まる言ではあまり意味を持たなかったからです。
心や頭の中に及ぶことは、言わないで済むなら云いたくないとさえ思いました。
演出さんと御本人が創っていくものでしょう。
自分の役者としての未熟と、人間としての未熟が、その役者さん自身の気付きの芽を摘んでしまうのが怖かったんです。
自力で気付くのと、誰かに教えられるのでは、
起こる化学反応が全く別物になっちゃうんですよ。
それはその人の成長のチャンスを摘んでるに等しい。
人にもの言うってことは、その可能性を秘めてるんです。
怖いんですよ。
だけど、そういうコミュニケーションを取る必要が感じられた。
だから、気をつけて、気をつけて、
言葉を極力選んで、タイミングも探りながらやってきた。
でもね、思ったんです。
私の、押し売りなんじゃないかって。
相手の方は、寧ろ私に気をつかって合わせてくれてるんじゃないかって。
本当は、望んでないんじゃないかって。
こっちの独りよがりじゃないのかって。
独りよがりの理由は色々あって。
私は、相手がちゃんと見えなくなってる自分が嫌になりました。
自分の都合を押し付け始めた自分が。
だから、引いてみることにしたんです。
相手の方に変化がなければ、
または、
こちらの変化に気付こうとしないならば、
気付いててもそれに身を任せるならば、
そのまま距離はひらいていく。
それならその方が良い。
その人が、離れていくものを(この場合私の役柄をですね)自分の力で手繰り寄せる気概があるのか知りたい。
その欲求をお持ちなのかどうか。
その欲求が無いのは、
私のやっていることが相手の方にとって、
在っても構わないし、
無くても構わないということです。
もしそうなら、私は自分への集中の仕方を変える。
個としての自分の役へ向いていく。
変えるなら、これ以上時期を先送りに出来ない。
だから、
我慢。我慢。我慢なのです。
私は、一緒に作っていきたい欲求があるから、
近寄っていきたくなる。
だから我慢なのですよ。
意外とツラいです(笑)
呪文、唱えちゃいます。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。」
良いモノ創りたいから。
我慢だってする。
それに、やっぱり、
珍しく自分から仲良くなりたいと思ったのは、役者として何か得るものを感じたからだと思うのです。
出来ることなら、大事にしたいから。
我慢、する。
☆へーはち☆
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