今日、たまたまこの記事が気になって読みました。
わたしは戦争ものが好きではありません。忘れないために、とテレビに映ると離れます。忘れないために、とやることの弊害がわかっているからです。(別のものが集まってきちゃうわけ広島に)
震災も同じです。
何を忘れないようにするのか?二度と悲劇が起きないように。。ここ言い回しが難しいですが、その悲劇に遭った人に本当に寄り添った気持ちなんだろうかなぁ。。
戦争問題は各自のうちなる戦争を見なさいよ、ですからして、内観していけばいいだけですよ。
さて、ではなぜわざわざ、戦争の話をピックアップしたかというと、トラウマの話ですね。トラウマの話でベトナム戦争から戻ったアメリカ兵の話は結構聞くかと思うんですよね。日本より心療内科、カウンセリングが進んでますから、日本では精神を病む=弱さとか、否定的ですもんね。
人が人を個人的な恨みではなく殺めなきゃいけない、殺められる可能性しかない毎日を生きるって、どんな心理かと想像してもわからない恐怖ですよね。
まして、子供の頃から戦争教育を受けて、お国のために!と出兵したまだ青年が、おめおめと生き残って日本に帰ってきてしまった!みたいな意識でそれを誰にも話せず。ただ黙って抱えて生きていたとしたら家族と親しみのある人生などないですよね。
今なら、あえての独身を貫くとかもできますが、昭和の初めの人たちには、死別以外その選択肢は少なかったと思います。
家族を持ったけど、心開けないまま亡くなって行った元兵隊の父。父の死後いろんな情報から、トラウマに苦しんでいたのではないか?と思うという記事なんですが
それをナナメ読みしただけなので、本文を理解をしたわけではなく、DVやネグレクトなど自分の心身を脅かす体験をしてきた方は、価値観の転換がアイデンティティの崩壊なんだということがバチっとわかった!という、ここに意味があったと思いました。
何が怖いのかわからないと、怖いが手放せないというのは、自分の体験からわかりました。そのこともそのうち書いてみますね!
今回の気づきは、幼き頃虐待を受けた方や、親の価値観を信じざるを得ない生き方をするしかなかった、....そうね、自由な思考や感情表現を好ましく受け止めてもらえなかった人たち(昭和の子どもたちはほとんどそうだと思いますけど)その中でも、親に決別覚悟の反抗とかまではしなかった人たち....かな。
優しいといえば優しい。勇気がないと言えば勇気はない。人を傷つけるくらいなら自分が傷つくという精神に則って、実は相手を苦しめるタイプ(^◇^;)切ない....
わざとじゃないのよ、わかってるのよ
だから、そこから離れさせてあげられないかなと、、離れることを選んでいいんだと気づくヒントを提示できないかなぁと、日々模索してるわけです私は。言葉選びは慎重に。本人が選ぶ事だから、強制的に離脱させる事はできないのよ。
少年兵や真面目な人たち
それはある意味自分の頭で考えないで、体制や権威のいう事を信じてしまう人たち。これを洗脳ともいうわけですが
それらを鵜呑みにして頑張ってきたのに、日本に戻ったら、その信じたものがひっくり返るわけですよね。
自分は何も変わってないのに、世間の価値観が180度変わってしまう事。理由がわからないじゃないですか??理不尽ですらあります。彼らにしたら。
それをやったら、自分のそれまでの行為、ましてや戦争で人を殺めたかもしれない、強奪強姦とかもしたかもしれない、それはその時はそれが正義だったから。その正義を全否定することになりますよね。
まぁ全否定されてるんですよねぇ。なんか世間は急に何もなかったかのように、敵機襲来することもなく、自分のやりたいこと
はなんだ!?とか言っちゃって。こちとら、そんなこと考えた事もない、考えたら耐えられないから、日本にいる家族を守る為にお国のために、敵を倒すのだ!!!!ってやってたのに。
なんだったの、あの数年....みたいな。
そして、それさえも考えることも恐ろしかったでしょう。内観できれてば、手放せたかもしれない。だけどそのままを認めることができないから、アル中になったり、心閉ざしたりするしか、逆に生き延びる術がなかったんだなぁと思うんですよね。記事読んでないですけど。(読む前に私がブログに書くことがわかってしまったので)
変われないと苦しむクライアントさんたちはフォーカスするところが違うからなのはわかっても、本人から引き出すことがすごく難しい。それは怖がりだから?
自分自身を信頼できないからなんですよ。だって他者から認めてもらうことだけ、安全を確保することだけが、生存率をあげる大切な生き方で、その人のアイデンティティなんだもん。他者ありき、なんです。
それはその人の罪ではない。仕方なかったですもん。
だけど、自分がクリアしたい課題として生まれてきてるので、それを創造したわけなので、やるしかないと思うんです。
自分では自分がどうするかを、決めたことがないんです実は。自分で決めている風にはできるかもしれません。でも親が、伴侶がこうしろと言ったから、それをやるしかないんだという思考以外は考える力はないと思います。最後の最後は人のせいであり、その人たちのおかげで生き延びてる。
追記の追記 被害者思考の人はここで、自分だけそうなんだ、どうせ私は考える力もないんだ!と受け取るそうです。
そういう風に誰もがなっちゃうよね、命握られてたらさ。って言ってるんですけどね。
自我がない方が生き延びる確率が高かったんだから。そうなるけど、今もそうかな?じゃん。今そうじゃないのに変えないなら自己責任だけど、気づかないと変えられないよねって話ね。
わたしはそれを自己責任から回避してると言ってるわけです。勿体無いと思ってるんです。人間の肉体を持てたのに。
苦しい、自分を取り戻したい、でもトラウマを外すのはどうしたらいいの?殴られたことを許すの?とかになるんだけどできないの。だってそれじゃないから。
そう、ここよ。
来月から始めるインナーチャイルドアートセラピーに意識が向いてから、自分の中にいろんなアイデアが浮かびます。
あなたはあなたのままでいい
という言葉が、あなたを苦しめる事だってあるよね。どれが私のありのまま?ってなるもんね。
わたしの考えはわたしの考え、それを押し付けるのではなく、参加者さんたちと一緒に模索して気づいていきたいです!
光の(光が存在するという事はそこにちゃんと、闇もいらっしゃるのよ)ギフトボックスという言葉がきました。
光のギフトボックスが開くのです。
追記 私たちが気づく事で、地球を去った魂の残留思念の浄化が進みますよね?
集合意識を光り輝かせて闇と溶け合ってひとつになりますよね!私たちがワークするという事はそういうことなのです。
宇宙の灯台
きー
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