今日は、「おばさん」という言葉を恐れずに生きていく方法のお話。
「あゆって今日から何歳になるの?」
29歳の誕生日を迎えた日、彼に聞かれた。
「今日から29歳だよ。」
「え、もう29歳?やばっ。」
「何、やばいって。」
「いや、もう29歳かと思って。あゆもおばさんか・・・。」
これが、人生で初めて、自分の「老い」というものに真正面から目を合わせた瞬間かもしれない。
アラサーという言葉がごく自然に使われ、もちろんわたしだって、30目前の女に対しての客観的な世間の目線は理解しているつもりだ。
20代前半の女性社員が周囲の男性社員にちやほやされているのを横目に深いため息をつくアラサー女の絵は、ドラマでも日常でもよく目にする。
婚活市場における29歳と30歳の間にそびえ立つ壁の話を聞き、当の本人に実感なんて微塵もないけれど、ついに自分も何かの境目に到達したのだろうか、と思ったりもする。
時々、数年後に婚活市場で全く相手にされず傷付く姿を想像してみたりなんかして、これは決して他人事ではなく、未来の自分の姿かもしれない、と言い聞かせてみたりもする。
そんな世間的な年齢に対する価値観や認識を一通り理解した上で、周囲にどう思われようと、自分は全くそれにとらわれずに生きていたつもりだった。
しかし、彼のこの一言で、「他人の価値観にとらわれずに生きている自分」がガラガラと大きな音を立てて一気に崩壊していくのを感じた。
そして、わかった。
想像の世界にいるうちは、決して「老い」と向き合うことはできない。
こんな風に他人におばさんカテゴリーに振り分けられたり、ある日鏡を見ている時に自分の顔の上にうっすらとほうれい線らしきものを発見してしまったり、具体的な現実に直面して初めて向き合わされるものなのだ、と。
そして、生まれて初めて歳をとることに対して恐怖心が芽生えた。
わたしの彼は、どちらかというと常識にとらわれないタイプの人間で、わりとステレオタイプの人が周囲に多いわたしにとっては、異質な存在だ。
だがしかし。
そんな彼でさえも、年齢に対する漠然とした価値観は、一般社会のそれと変わらぬものだった。
その事実にも、絶望した。
ていうかそれ、君が言う?
仮にも自分の彼女(もちろん未婚の適齢期)に対してデリカシーなさすぎて仰天!
・・・はしないが(繰り返しになるがとにかく彼はステレオタイプにはまらなすぎる人なので、これくらいで驚いてちゃとてもやっていけない)、
その単語がはっきりと自分に対して向けられた時、平常心を保っていられない自分がいた。
わたしは自分が老いゆくことを理解しているふりをしていただけだったと。
どうやらわたしは今、彼にとって「おばさん」階層にいるらしい。
わたしは「おばさん」という言葉を嫌っている。とても。
わたしに限らず、「おばさん」と呼ばれることを嫌う女性は多い。
「おばさん」と呼ばれると、一気に老け込んだ気分になるし、あなたはもう女性であるために必要不可欠な要素を失い、永遠に取り戻せないのよと宣告されたようで、なんとも言えない空虚ささえ感じる。
「少女」だろうが「お姉さん」だろうが「おばさん」だろうが女に生まれたのだから性別はどこまで行っても女のはずだが、なにか鮮度のようなものをなくしてしまった気持ちになる。
超個人的な考えだが、女が生物学的(身体的?)に最も美しいのは、23歳~27歳くらいだと思っている。
溢れ出るような弾け飛ぶようなみずみずしさ、という意味で言えば10代~20歳前後を含めてもいいのかもしれないけれど、みずみずしさの上にほんのり成熟味を添えられた23歳~27歳は、女の生物学的美しさが絶妙に発揮されている時期だと思う。
それは顔の造りの良し悪しに関わらず女に平等に与えられている無敵期間で、エンペラータイムならぬエンペラータームと勝手に呼んでいる。
エンペラータームの最中にいた当時、容姿に優れた年上の美女たちに、「あなたたちは若くてきれいでいいわね」と言われたり、年上の男性陣と話している姿を恨めしそうな目で見られたりした。
その度に、何を言っているんだろうこの人たちは。
わたしなんかより顔のパーツが美しく整っているのに、なんと寝ぼけたことを。
と思っていた。
でも、今なら何となくわかる気がする。
どんなに顔の造形が整った美人も、天然物の若さの前には、無力なのだ。
女は、若さ寿命を延ばしたがる。
もしかしたら、健康寿命以上に。
やがて消えゆくものは、美しい。
花火も、生花も、若さも。
刹那を永遠にしたいと願う。
見た目の若さや美しさを競い合う美魔女たちはその象徴だ。
ゆるやかに、たしかに失われていくもの。
「おばさん」と呼ばれることを恐れて、「きれいなお姉さん」に固執する。
そもそも、「おばさん」って何者なんだろう。
・25を越えたら?30代に突入したら?それとも40代?
・結婚や出産をしたら?
・見た目が老けたら?シワが増えたら?体がたるんできたら?
・発言や仕草が女性らしさをなくしたら?
ちなみに国語辞典によると、
他人である中年の女性を呼ぶ語(※ここでは親族の伯母(おば)の意は除く)
らしい。
やはり年齢が基準なのか。
中年は、一般的には40代から50代後半あたりを指すようだけれど、人によっては35を越えたら、なんて思っているかもしれないし、外見から年齢を判断できない場合、やっぱりその人なりのなんらかの基準で計られているのだろう。
ああもう、「おばさん」って、いったい何なんだ。(いや、だから中年の女性だってば)
曖昧な定義のくせして、なんだかんだ人々は各々の感覚で使いこなしている言葉。
だいたいまず、響きが嫌だ。
「お姉さん」と「おばさん」。
言葉の意味を考えずに目を閉じて頭の中で反芻してみても、やっぱり嫌だ。
どうも「ば」の濁音に問題がありそう。
上品さや滑らかさが感じられない。
じゃあ、「おはさん」なら?「おぱさん」ならなんかちょっとかわいらしいかも?
・・・なんてことを考え出すくらい、この言葉が嫌いなのだ。
そうそう、思い出したのだけれど、イギリス旅行中にトラブルに遭った際、優しい紳士にかけられた言葉が、しっくりくる。
彼は憔悴しきったわたしに、微笑みながらこう言った。
「Madam.」
・・・これだ・・・!
既婚女性や年長女性に対して使われるのはもちろんだが、未既婚問わず、年齢を問わずに使われる、呼びかけの言葉。
奥様、とかお嬢さん、なんてニュアンスで。
これはいい。
日本でも、お客様、あの方、この人、とか便利な言葉がいろいろあるけれど、
例えば通りすがりの優しい女性に親切にされた時、
「あのマダムに助けてもらったの。」なんて言えたら、
言われた方も言う方も、何のしこりも残すことがなさそうで、なんだか清々しくないだろうか?
日本語にも、「マダム」的な言葉があればいいのに。
誰かいい表現を知っていたら、教えて。
とはいえ、日本で過ごしていたら、いつ「おばさん」という言葉の砲撃を仕掛けられるかわからない。
わたしが誕生日に不意に彼に仕掛けられたように。
では、この言葉を恐れず屈せず生きていくためには、どうすればいいのか。
一つのポイントは、自分の「老い」を認識し、受け入れられているかどうか、だと思う。
「おばさん」という言葉を許容できるかどうかは、その言葉を受け取った人が、自分の「老い」を受け入れているかどうかによる。
「おばさん」という言葉に対する嫌悪感の大きさは、その人自身の「老い」の受入れ度と反比例している。
自分の老いに対して受け入れ準備ができていない段階で、「おばさん」と言われるものだから、反発したくなるし、逃げたくなるし、場合によっては怒りが沸いてくる。
まさに今のわたしだ。
だから受け入れ態勢がない人に「おばさん」と呼びかけるとものすごく失礼にあたるし、逆に受け入れ準備ができている人にいえば、時に親しみを込めて受け入れられたりする。
38歳くらいで「おばさん」と言われて眉をひそめる人もいれば、29歳くらいで「わたしももうおばさんの仲間入りね。ふふ。」と笑っている人もいる。
40代くらいになると、途端に「おばさん」という言葉を許容する女性が増えるような気がする。
もしかしたら、老いていく存在である自分自身を受け入れ始められるのが、ちょうどそのくらいの年代なのかもしれない。
「おばさん」という言葉を恐れずに生きていくただ一つの方法は、自分が老いてゆく存在だということを自覚し、そっと受け入れること。
とはいえ、女性が年を重ねて変わりゆく自分自身を受け入れ、愛するのはきっと思っている以上に難しい。
自分の目で嫌でも老いを感じながら、明らかにこれまでの自分とは違う姿になっていくことを確かめながら生きていかなければならないことは、とても残酷なことだと思う。
神様はドSだ。
わたしは、震えるほど、怖い。
それは、単に容姿が崩れていくことへの恐怖なのか、崩れゆく容姿が徐々に死に近付いていることを意味していることへの恐怖なのかはわからないけれど。
今でもかなり発達している医療のさらなる発達によって、お金さえあれば見た目を騙し自分を騙し生きていくことは可能だと思うけれど、あくまで何かが失われていく事実は変えられない。
歳を重ねることは人間的に成熟して、素敵なことだとも聞く。
でも、残念ながらまだ実感できていないし、そういった展望も見えない。
きっとそれは、わたしが歳を重ねれば重ねるほど人生は楽しいと、素晴らしいと確信できるような生き方ができていないからだ。
ただただ日常を垂れ流していたって、歳を重ねれば重ねるほど素敵な人生には絶対、ならない。
シワとタルみを増し、それをキュートな魅力に変えられる人間に、なれるだろうか。
「老い」を「成熟」と笑って言える自分に、なれるだろうか。
そういえば、この前ある男性が
「今40代のおばさんが企画に協力してくれててさ、~」
と話していたので
「Not ”おばさん”, but “Madam” .」
と伝えてみたら、
「あ、”Madam”か。そうそうその40代のMadamがさ、~」
彼は何の疑問も持たずにあっさり受け入れていた。
”Madam”は意外と浸透するのではないかと希望的観測を持ってみたり。
な~んて、こんな呼称にイチイチこだわるわたしは、人間として相当未熟すぎるようだ。
恐れすぎず、あきらめすぎず。
女は難しい。
人間的な成熟度を高めるのは無論、今日からは見た目のケアにも少し気を遣おう、かな。
彼もわたしが小綺麗にしていると嬉しそうだし、
きっと、自分の心の鮮度を保つのにも、一役も二役も買ってくれそうだから。
P.S.
この記事を書いている時に後ろから覗き込んできた彼に、「あ〜根に持ってる〜」と言われた。笑
怒ってませんよ。彼はわたしにたくさんの気づきを与えてくれる、大切な存在だから。
でも、"Madam"とお呼び!
ってそれも違うか。だってわたしは彼にとってはいつまでもかわいいたった一人の女だから。
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「腐っても女」と胸を張れるよう精進しませう。