インタビューwithキタイ花ん

左:迫田篤 右:広木英介


高田:今、おいくつですか?


広木:二人とも26歳です。


高田:デルマパンゲというのは不思議な響きですけど、これは何かインスピレーションがあってつけられたのでしょうか?


迫田:造語です。


高田:言葉に何か意味というのは?


迫田:音の響きのみでつけました。子供って意味のわからん言葉をひたすら言いまくったりするじゃないですか? そういうのが僕にもあったんですよ。


広木:意味のわからん言葉を言いよる時期があったの?


迫田:そうそう。大人やったけどね(笑)。コンビ名にちゃんとした意味のあるものをつけるというのは照れちゃうので、そういう意味ではぴったりのコンビ名だと思います。


広木:何がぴったりなんかようわからんけどな。


高田:お二人は昔からずっとコンビを組まれているんでしょうか?


広木:いえ、迫田からしたら僕が三人目になりますね。


迫田:かなり前になるんですけど、バンドをやっている友達が楽器を変える繋ぎの時間に、みんなの前に出て喋るという機会があったんですけど、もうその時すでにデルマパンゲを名乗っていましたね。


高田:ちなみに広木さんの前の相方さんたちは、まだお笑いをやられているんですか?


迫田:やってないですね。一人目の相方はもうお笑いをやめて結婚して子供が三人います。左腕に刺青を入れていますけどね。


広木:刺青の情報いるか?


高田:お二人とも福岡のご出身なんですよね?


迫田:そうですね。


高田:同級生ですか?


広木:高校の同級生ですね。ただ高校時代はほとんど絡みがなかったんですよ。


迫田:僕はその頃からお笑いをしたいと考えていまして、卒業後に東京のNSCに行こうと思ったんですけど、親に話したらこっぴどく怒られまして、しょぼんとなったんです。


高田:しょぼんとなったんですか。


迫田:めっちゃへこみましたね。その後、親に頼んで大学に行くことになったんです。親からしたら大学在学中に考えが変わって、他の職業に就くことを考えるようになるかもというのがあったと思います。でも逆に四年という歳月が長すぎて、余計にお笑いをやりたいと思うようになりました。


高田:お笑い熱は冷めなかったんですね。


迫田:はい。それでさっきの刺青の男に、広木を紹介してもらったんですよ。


広木:刺青の男って、なんか誤解を生む言い方やな。


高田:広木さんはご両親の反対はなかったですか?


広木:ありましたけど、強引にこっちへ出てきちゃったので仕方ないという感じになっていますね。たまに実家に帰って親と酒を飲みながら話すこともあるんですけど、お笑いの話は一切出ないですね。


高田:想像するとなかなか微妙な空気ですね。


迫田:まあ今の話をまとめますと、こいつは親に愛情を注がれずに育ってしまったんで、こういう風になっちゃったということですね。


広木:いきなり何を言うとる。親に怒られるぞ。


高田:高校時代にお二人は面識がなかったんですか?


迫田:ありましたけど、大して親しくなかったんです。


高田:では迫田さんから「コンビを組まないか?」と言われた?


広木:いえ、誘ったのは僕の方でしたね。お笑いの好きなやつがいうっていうのは聞いていたんで。


高田:どういうやり取りがあったんですか?


広木:僕が飲みに誘いました。


迫田:その時のこいつはひどかったんですよ。大事な話の時に、焼酎一本を飲み干しへべれけになっていましたからね。


広木:今から考えると「一緒にやろう」って誘うというのが頭にあったので、緊張していたんだと思います。


迫田:まあ、その場で意気投合して「これから、よろしく!」みたいなことにはなったんですよ。その勢いもあってその場でネタを作ろうという風になりまして、店員さんにメモ用紙とペンを借りたんです。遅くまで飲んで帰宅して、翌日にその時のメモを見たら『ヤクザとペニス』とだけ書いてありました。


広木:それが僕たちの船出です(笑)。


高田:ちなみに『ヤクザとペニス』メモをご覧になった時は、どう思われました?


迫田:こら頑張らんとやばいなと(笑)。


広木:確かにそのままやったら危険やもんな。


高田:九州出身のお二人ですが、漫才も方言のままやられています。その辺りにこだわりをお持ちですか?


広木:こだわりというよりは、まず僕たち関西弁が喋れないですから。


迫田:関西の人から見たら、表面的にマネしても“エセ関西弁”というように思われると思うんです。やっぱり漫才は言葉に念が乗っからないとダメですから、それやったら自分たちの喋りやすい言葉でやろうという感じですね。


広木:あとは照れて関西弁が言えないというのもあります。漫才の最後って「もう、ええわ」というのが定番ですけど、あれも恥ずかしくて口にできないんです。


迫田:よくその土地に行くと言葉はうつるって言うじゃないですか? 僕らの地元でも東京に行って帰ってきたら標準語になっていたんですけど、僕らはそれはないですね。


高田:大阪に来られてどれくらい経ちましたか?


迫田:3年ほどです。


高田:まるで関西弁が混ざった形跡がないですもんね。


迫田:どちらかと言うと、僕らの方言を周りにうつしていっていると思います。


高田:ホームシックとかにはならなかったですか?


広木:こいつの方がひどかったですね。最初、こっちに来た時は毎月、地元に帰っていましたから。


迫田:その頃の電話代は毎月3万円近く行っていましたね。


高田:地元の方にばかり電話をされてた?


迫田:はい。僕たちNSCではなく一般なので、まずこっちに知っている人がいなかったんですよ。その頃は辛かったですね。


広木:ライブに出ても、自分たちから挨拶に行って芸暦を名乗るというしきたりを知らなかったんです。ネタが終わったら隅の方へ行って「大阪はお笑いの本場やなかったんか」という悪口ばかりを言っていました。


高田:その孤独な状況から脱するきっかけというのはあったんですか?


広木:あるインディーズライブに出ていた時に、ひとりの先輩が声を掛けて下さったんです。そこからですね。その人にご飯に連れていってもらうようになりまして、他のインディーズライブとかも紹介してもらうようになり、交遊関係が広がっていきました。


高田:現在、仲良くされている方は?


広木:キタイ花んに出られている方でしたら、矢野号さん とかゆうきたけしさんにはよくしていただいております。


迫田:他ではイグニッションさんとかななまがりさん とか、ミルクボーイさんにもよくご飯に連れていってもらったりしています。


高田:お笑い界のしきたりがわからず苦労されたというお話でしたけど、もし今そういうことを知らない後輩が、ぽつんと孤立していたら声を掛けますか?


広木:う~ん。どうでしょうね。


高田:掛けないんですか?


広木:僕、結構人見知りなんですよ。それで引いてしまうとういのはあるかもしれないです。


迫田:僕は逆にみんなと仲良くしたいですね。芸人とかこだわらず誰とでも仲良くしたいです。


広木:なんか俺、損してないか。


迫田:損してないって。俺が得してるだけ。


広木:結局、一緒やろが。


高田:福岡という土地はお笑いに関して、どうなんですか?


迫田:福岡はお笑いよりも『とんこつラーメン』とか“食”の方に走るんですよ。だから大人たちがお笑いという物に向かっていってないんです。そういう意味では大阪は多くの人たちが、お笑いの方を向いているのでやりやすいですね。


高田:福岡で活動されている有名人ってどなたになるんでしょう?


広木:華世さんです。


高田:華世さん?


広木:山本華世さんをご存知ない?


高田:すみません。不勉強なもので。


迫田:東京で言えば和田アキ子さんみたいな人ですね。地元では超有名人です。


高田:福岡でお笑い番組というのはあまり放送されていなかったんですか?


広木:博多華丸・大吉さんが東京に行かれる前は、ちらほらありましたけど、今はそんなにないみたいですね。


迫田:劇場もあったんですけど、潰れてしまいました。


高田:福岡にはNSC的なものも?


広木:ないですね。だから大阪に出てこようという風になったんだと思います。

後編 へ続きます。下記 へ読み進めて下さい)