豊かさってなんだろう | とあるインテリア・家具デザイナーのブログ

豊かさってなんだろう

最近テレビでブラジルアマゾン川流域の部族のドキュメントを見た。

自然の中の決められたエリアで生活(原住民保護区になっている)している

民族である。感銘を受けた事がいくつかある。

生き物を取って食べる際は、自然の神に感謝し生態系を犯すことは一切しない。

女性が流産した際は、森林に置き去りにし、自然の生き物の餌とする。

一貫しているのは、彼らは自然を共存、共生していること。

一件流産した赤ん坊を置き去りにするのは残酷な事に見えても、

それは長期的に見て自然を敬い共に生きるための手段。

原始的な手段の生活においては、こういう方向に向かうんだと思う。

一方、我々は高度に進んだ文明の中に生きている。

お腹がすけば、スーパーに行って食材を買って調理することもできる。

それが面倒であればコンビニに行ってお弁当を買ったり、ファミレス

に行って食事したりできる。

車を運転して短時間で目的地に移動でき、時には飛行機にのって

世界各国に行き、仕事をしたり旅行したりし、見聞を広げることも可能だ。

今現在の私たちが身を置いておる環境はまさに貨幣経済。

対面の物と貨幣の交換から昨今の金融の仕組みがいやおうなく流入し、

インターネットで見えない貨幣が動くめまぐるしい時代である。

経済のその固有の局面においてはよりグローバル化、ネット化した環境と

社会において、より複雑化し連動化した金融工学を始めとする仕組みの中では

状況の不確実性はますます増している。

世界の一国の突発的な経済状況や気象の変動、はたまた企業のネットでの風評被害

まですべての要素がリスクをはらんでそれが負の要素となって連動していく。

サブプライムの件でさまざまな事が怒ったが、投資家は懲りてない。

生命保険、死亡保険を証券化して商売する人間も欧米ではでてきている。

商魂たくましいのはたいしたものである。

話は戻るが、この現代の進んだ貨幣経済においては労働の対価を貨幣で受取り、

我々の生活が成り立つ。その貨幣を使用し生活を構築し、その貨幣が流通することが

経済という概念の本質である。

アマゾンの先住民のドキュメントを見て、現代の価値観に育った我々はこの状況を

無意識に受け取ることは人間の本質ではないと感じる。

彼らは1つの物事を行う時には複数の過程がある。

例えば住む場所をつくるのには、材料を森から切り出し取って来て加工し

住居をつくる。我々がそうする時、専門の業者に頼むことになる。

我々は生活のそのほとんどを貨幣に依存する。

以前の中世や日本の戦国時代などとは違って武器が貨幣にとって変わった

時代である。

アマゾンの先住民と我々は基本的に生きることに見いだす価値観が絶対的に

異なる。彼らは本質的な種の保存と子孫の繁栄であるが、我々はどうだろう?

お金をたくさんかせいで、大きい家に住んで良い車に乗ることが幸せ?

おそらくそうなんだろう。世界中のさまざまな戦い、紛争はこういった価値観と

無縁ではない。ただ我々がこの物質を享受する生活から脱却できないのも事実。

1つの行動を起こすのに、その事実により深く洞察し、本質的な意味を見いだす

ことはこの現代において非常に重要な事である。

当たり前だと思ってしまい、無意識に享受することは非常に怖いことであり、

これは精神の退化とも言っていいだろう。

詳しくは書かないが現代のテレビ事情はまさにこれに当てはまる。

相対的、画一的視聴者に媚びるあまり、質があまりにも低下している。

昨日はこんな事を考えて寝付きが悪かった。

午前中は読書。ジョンキャスリオーネの経済本を少々。

レンダリング、終わったかな?

午後からまた、CG作成。