時は去年6月ー


夏は暑いのはもちろん、

草が生い茂ってヤブだらけ、

ハチマムシやらヒルやら、

果てはなどの危険生物も怖いので、

土の城や山城への攻城はなるべく自粛していますえーん ガマンガマン


宿泊を伴う遠征も自粛し続けてるので、東京からの車での日帰りでは、ヤブや虫の心配のない石垣の城への遠征も限界になってきましたショック


そこで東京都特別区、いわゆる「23区」の城を巡るシリーズ、その名も


真夏の大冒険!

 東京23区の城10番勝負


をやることにしました爆笑爆笑爆笑


果たして首都・東京の特別区の城はどんなものか⁈


そもそも城があったのか⁈


さて今回から始まる「10番勝負」、その1番手は東京都板橋区の赤塚城ですニコニコ


前回の乗蓮寺(東京大仏)は赤塚城の二の丸に建てられていますが、今回は本丸へGO!ですチュー

赤塚城は康正2年(1456年)に市川城から移った千葉自胤によって築城されたとされていますニコニコ


のちに赤塚千葉氏は後北条氏の支配下に入り、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になったそうですカブト 

今回は前回の乗蓮寺(東京大仏)からの北上から始まります走る人


下矢印道路の脇にちょいとした滝が出現びっくり

住宅地に今でも大切に残してるようです照れ

城址が残る公園へと突入爆笑


溜池には、何が釣れるのかわかりませんが、結構釣り師がいらっしゃいましたニコニコ

板橋区立郷土資料館があったので入ってみました照れ

同じ東京都に住んでますが、板橋区のことはあまり知らないんですよね〜爆笑

この資料館は、結構資料が豊富でしたラブ

下矢印ここでも大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの逸話が残るそうですカブト

伝承によれば、源頼朝が挙兵後に徳丸を通過した際に立ち寄ったとも言われているそうですニコニコ

下矢印ここら辺を支配していた豊島氏の説明もありましたカブト

豊島氏は、平姓秩父氏の一族で、平安時代から室町時代にかけて国人系領主として存続した武家の一族ですカブト


関東の戦国時代初期に暴れまくった長尾景春の反乱に味方して、名将太田道灌によって宗家は滅亡したことだけは知ってましたチュー

下矢印「高島平」という地名は高島秋帆から来てたんですね〜びっくり

下矢印この資料館の奥には古民家も保存されてますニコニコ

下矢印相方曰く「お風呂はてなマーク

下矢印正解はお酒の醸造用の釜でした、石川五右衛門の釜茹の釜ではありませんグラサン

古民家は江戸時代後期の建築のようです、もちろん改築もされてるようですがニコニコ

資料館は以上です、なかなか見応えのある資料館でした照れ


さて、ようやく赤塚城の本丸へ入ります爆笑


下矢印「余湖くんのホームページ」より縄張り図お借りしました、北の「郷土資料館」より入城です走る人

ちょいとした小山を登ります走る人

登ると結構広い本丸へ到着爆笑

下矢印余湖くんのホームページの縄張り図にある堀跡を探して歩いてみました走る人


下矢印これが堀跡?キョロキョロ

正直、わかりません笑い泣き

ちょいと山を降りてみましたニコニコ

余湖くんのホームページより下矢印

切岸?というほど鋭くもない傾斜でしたキョロキョロ

以上で攻城終了爆笑


「現在の赤塚城は、土塁、空堀、水堀、堀切、切岸など、江戸城を除く東京都23区内の城跡の中では最も多くの遺構が残っている」・・・とウィキペディアにはありましたが、正直微妙だと思いましたえー?


世田谷区の世田谷城の方が、土塁や堀ははっきりとわかりやすいですグラサン


下矢印世田谷城の記事


まぁ、東京都23区の城の残り具合は惨憺たる状況だということでしょう笑い泣き


でも二の丸のあった乗蓮寺(東京大仏)と、板橋区立郷土資料館との合わせ技で行けば、なかなか楽しい散策です照れ