時は去年6月ー
夏は暑いのはもちろん、
草が生い茂ってヤブだらけ、
蚊やハチ、マムシやらヒルやら、
果ては熊などの危険生物も怖いので、
土の城や山城への攻城はなるべく自粛しています ガマンガマン
宿泊を伴う遠征も自粛し続けてるので、東京からの車での日帰りでは、ヤブや虫の心配のない石垣の城への遠征も限界になってきました
そこで東京都特別区、いわゆる「23区」の城を巡るシリーズ、その名も
「真夏の大冒険!
東京23区の城10番勝負」
をやることにしました
果たして首都・東京の特別区の城はどんなものか⁈
そもそも城があったのか⁈
さて今回から始まる「10番勝負」、その1番手は東京都板橋区の赤塚城です
前回の乗蓮寺(東京大仏)は赤塚城の二の丸に建てられていますが、今回は本丸へGO!です
のちに赤塚千葉氏は後北条氏の支配下に入り、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、千葉氏も所領を没収され、赤塚城は廃城になったそうです
道路の脇にちょいとした滝が出現
城址が残る公園へと突入
溜池には、何が釣れるのかわかりませんが、結構釣り師がいらっしゃいました
板橋区立郷土資料館があったので入ってみました
同じ東京都に住んでますが、板橋区のことはあまり知らないんですよね〜
この資料館は、結構資料が豊富でした
ここでも大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの逸話が残るそうです
伝承によれば、源頼朝が挙兵後に徳丸を通過した際に立ち寄ったとも言われているそうです
ここら辺を支配していた豊島氏の説明もありました
豊島氏は、平姓秩父氏の一族で、平安時代から室町時代にかけて国人系領主として存続した武家の一族です
関東の戦国時代初期に暴れまくった長尾景春の反乱に味方して、名将太田道灌によって宗家は滅亡したことだけは知ってました
「高島平」という地名は高島秋帆から来てたんですね〜
この資料館の奥には古民家も保存されてます
相方曰く「お風呂」
正解はお酒の醸造用の釜でした、石川五右衛門の釜茹の釜ではありません
古民家は江戸時代後期の建築のようです、もちろん改築もされてるようですが
資料館は以上です、なかなか見応えのある資料館でした
さて、ようやく赤塚城の本丸へ入ります
「余湖くんのホームページ」より縄張り図お借りしました、北の「郷土資料館」より入城です
ちょいとした小山を登ります
登ると結構広い本丸へ到着
余湖くんのホームページの縄張り図にある堀跡を探して歩いてみました
これが堀跡?
正直、わかりません
ちょいと山を降りてみました
余湖くんのホームページより
切岸?というほど鋭くもない傾斜でした
以上で攻城終了
「現在の赤塚城は、土塁、空堀、水堀、堀切、切岸など、江戸城を除く東京都23区内の城跡の中では最も多くの遺構が残っている」・・・とウィキペディアにはありましたが、正直微妙だと思いました
世田谷区の世田谷城の方が、土塁や堀ははっきりとわかりやすいです
世田谷城の記事
まぁ、東京都23区の城の残り具合は惨憺たる状況だということでしょう
でも二の丸のあった乗蓮寺(東京大仏)と、板橋区立郷土資料館との合わせ技で行けば、なかなか楽しい散策です