特別寄稿

秋田は・・・  ㊤

不屈の人材が立つ大地
          創価学会名誉会長 池田大作
   いんとく       ようほう
 「陰徳あれば陽報あり」
 若き日から親交を重ねてきた秋田の旧友たちに、敬愛を
             しんげん
込めて贈った箴言です。
 秋田の友は、陰で苦労して人に尽くしながら、喝采など
求めない。誰が見ていようがいまいが、地道に誠実な行動を
貫き通している。この友たちこそ、最も晴れがましい果報に
包まれるべきだと、私は信じ、祈ってきました。
 東日本大震災に際しても、試練の被災地を秋田の方々が
どれほど支えてこられたか。
 「秋田の友の励ましがあればこそ」などの感謝の声を、
数え切れぬほど伺っています。その人知れぬ尊き献身は
今もたゆみなく続いております。
 私の知る由利本荘市の壮年は、宮城県の仮設住宅の
建設を依頼されました。予定の工事が詰まっており悩んで
いると、「今こそ人のために」と背中を押してくれたのは、
家族でした。工事関係者も「被災者のためなら」と日程を
変更し、協力してくれました。
 真心込めて尽力する中で、自身も被災者の方から大きな
勇気をもらったといいます。
 秋田の方々は、原発事故による風評被害、観光業の
冷え込みなど、幾多の苦難に立ち向かいながら、被災3県に
寄り添っておられます。チェルノブイリ原発事故で被害に
あったベラルーシへの医療支援の経験を生かし、福島への
支援にも取り組まれています。
                               とも
 仏典には「人のために明かりを灯せば、自分の前も明るく
なる」と説かれます。
 秋田の懸命な貢献が、東北の復興はもとより、日本全国
そして世界の前途を、必ずや明るく照らしゆくことを、私は
強く確信してやみません。
                ◇
 私の師・戸田城聖先生も、秋田をはじめ東北の青年を深く
愛していました。師の持論は「東北は一つ」であり、人体に
たと
譬えれば、秋田は「肺」であり「腕」である、と。
 まさしく「東北合衆国」の柱の存在です。
                                               みなぎ
 地理的な観点とともに、常に新鮮な息吹と活力を漲らせ、
新時代を切り開いている秋田人の雄々しき魂に光を当てた
洞察でした。
 日本最大と名高い能代市の「風の松原」についても、その
歴史を師と学びました。
 江戸時代、季節風が吹き上げる砂の害に困り果てていた
民衆の生活を守るため、立ち上がったのが、秋田藩士・
栗田定之丞と賀藤景林です。
 悪戦苦闘の末に、不毛とされてきた砂浜に植林する方法を
確立しました。さらに、その後に続く無数の人々の努力に
よって、700万本もの見事な松原が築かれたのです。
 5年前、“アフリカの環境の母”ワンガリ・マータイさんは、
秋田市の下浜海岸で青少年たちと1万本の植樹を行いました。
あの快活な笑顔で、「皆で力を合わせれば、どんなに不可能と
思われるようなことも、必ず成し遂げることができる」と語って
                 よみがえ
いた信念の言葉が蘇ります。
                ◇
 日本三大美林の「秋田杉」は、なぜ美しいのか。それは、
激しい寒暖差と風雪に耐え、じっくりと成長を続けることで、
                       そろ
木目が細かく、きれいに揃うからだといいます。環境が厳しい
からこそ、日本一の杉が育つのです。
 まさに、どんな吹雪にも胸を張って、粘り強く乗り越えて
きた、秋田の偉大な先人たちの姿とも重なります。
 教育県の秋田は、全国最優秀の学力・体力を誇ります。
若き世代は父母の後ろ姿を見つめながら、まっすぐに堂々と
育っています。この不屈の人材の林立こそ、「陰徳」を積む
秋田に輝く、希望の「陽報」ではないでしょうか。

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秋田魁新報 2012年4月24日付に掲載されたものを、
原文のまま転載しました。
誤解などを防ぐために、ルビも全て同じにしました。
デザインなども、極力同様なものを作りました。

※ 下の写真が、実際の秋田魁新報の紙面です。
       特別寄稿 12.04.24