私は勉強がずっと苦手でした
中学校に入って初めて英語の授業を受けた時の拒否感は今でも覚えています。
私の頭が固すぎて
This is a pen の疑問形が
Is this a pen であることがもう理解できず
ただの苦痛の時間でしかありませんでした
テストは0点とは言いませんが、そんなようなレベルと言っていいかもしれないです。
ただ不幸中の幸い、、、
父親が洋画、洋楽大好きで
幼少期から英語が流れている環境だったので
意味は分からなくとも聞く分には何の抵抗もなく
むしろ私も洋画洋楽が大好きでした。
大好きだけど、、、
英語の勉強となると話は別なんですね
それが私が中学2年の冬
ある日学校が終わって帰宅したら
オーストラリア国籍のいとこが家に居たことで
私の人生が変わりました。
オーストラリアに住む叔母の子供=私のいとこが約2ヶ月間我が家にホームステイに来たのです。
母は、事前に私に話すと騒がしいからという理由で当日までホームステイの情報は一切無しでした
いとこと言ってもイギリスと日本のハーフで
見た目は完全に外国人。
いとこに会ったのはこの時初めてではなく
それまでに2度会ったことがありましたが、日本語が全く話せなかったので一緒に遊んでも会話はほとんどしていなかった、できていなかったと思います。
でも久しぶりに会った今回は
日本語がすこーし分かるくらいになっていました。
いとこは私の1つ年下の女の子と
4つ年下の男の子の姉弟です。
年が近かったので
ジェスチャーや日本語と英語の単語をミックスしながらコミュニケーションをとって、すぐに仲良くなりました。
意思疎通できたときの嬉しさと、
私英語しゃべれてる!という“錯覚”が
たまらなく刺激的で、英語への興味が一気に爆発しました
叔母の希望で
2ヶ月の間は年齢に合わせて
女の子のいとこは私と同じ中学に、
男の子のいとこは私の母校の小学校に通いました。
私には1つ下の弟がいるので
確か女の子のいとこは私の弟と同じクラスで過ごしていたと思いますが、時々私のクラスにも混じって授業を受けたりと、2ヶ月間ほとんど朝から晩まで一緒に過ごしました。
年齢が近いことに加え女同士ということもあってか、その間どれだけ辞書をひいたか分からないくらいお互いのことや文化の違いについて幅広く話して、すっかり親友の域になっていました。
文法に関してはお互い感覚だったと思いますが
語彙力はかなり鍛え合えたと思います。
男の子のいとこはまだ幼かったり日本語に興味がないと言っていたので家ではあまり
1つの話題を長く話したり深い話までした記憶はないですが、性格的に質問をよくする子なので彼なりに文化含めいろいろ吸収していたと思います。
2ヶ月間は私にとっても濃くて刺激的な毎日で良い影響をたくさん受けさせてもらいました。
英語については帰国後もずっと手紙やらFAXで頻繁にやり取りをしていたので私の英語の成績は急激に伸びていて、発音も褒められるくらいになっていました。
当時を振り返るとつくづく自ら興味を持ったことの貪欲さと吸収力はパワー・威力が違うなと思います
それからも、いとことは親戚ということもあり
濃い交流で、ホームステイをし合ったり
なかなかのペースで会っています。
いとこは10代後半だったか2人してモデルになり姉は日本にも度々長期的に滞在しながら活動をしていたので日本にくる機会が多かったんです。
雑誌でも見かけたり日本だけでなく海外でも大手CMやファッションブランドの広告で活躍していました
いとこはぐんぐん日本語が上達しましたが
私はと言うと、、、
不器用だったり、極端な私の性格は昔から変わらずで、、、、
私が韓国語を学ぶようになってからは英語との両立はできず英語から急速に遠のいてしまいました、、、。
あぁ今思えばもったいない、、、。
今思えば、、、
幸いにも耳の力と発音の力は大きく衰えていない気がするのですが、、、。
↑あくまでも私が勝手に思っていることです
とにかく私が語学に対して開花したのは
14歳、いとことの交流を機にです。
ここから韓国との距離がぐっと縮まることになっていきます。