救いの手 | 18歳で骨肉腫 ~ステージ4からの復活~

18歳で骨肉腫 ~ステージ4からの復活~

骨肉腫を乗り越えて回復に至るまでの道のり。

中学の頃、

いじめで悩んでいた時、お世話になった保健室の先生に

言われた言葉の中で、忘れられない言葉がある。

それは、

「これからも何かしらあると思うけど、

きっと〇〇さん(私)には、助けてくれる人が現れると思うよ」

という言葉だ。

言われた時は全然ピンとこなかった。

しかし今振り返ると、本当にその通りになっていて驚いている。

「人生は必要な時に必要な人が現れる」とツイッターで見たことがある。

私はまさにそんな感じだ。

私を助ける義理なんて無い人に助けられている。

一方で助けてくれるはずの人(父)は何もしてくれなかったりする。

 

 

ここから先はあんまり言いたくないというか

人に言えるようなことじゃないんだけど、

母と大喧嘩し、病院を脱走した時(足を手術する前で歩けた時)

死のうと思っていた。

母は怒りに任せって言ったのか、

「もうあんたの面倒はみない、生活保護でも受けて自分でなんでもすれば」

と言われたし、

「バチが当たったから病気になったんや」と言われた。

これほどツラいことはあるんだなと思った。

言われた時は信じられなかったけど、今思うと母もツラかったんだと思う。

きっと病人だからといって、なんでも我が儘になってほしくなかったんじゃないかと

今なら思える。

 

言われた時は、私の中で怒りや悲しみが一気に湧いてきたのと同時に

もういいやと思った。

病院に連れ戻そうとする母を振り切って脱走した。

泣きながら、人がいない夜道を歩いた。

戻っても抗がん剤はしたくないし、母にも勘当されてるし

このまま死んで、なにもかも終わりにしたかった。

死ぬ前にK先生と話がしたくて電話をかけてみた。

長いコール音でやっぱり出ないかなと思ったら出てくれた。

今どうなっているかを話すと、

その場にいたわけじゃないから、何とも言えないけど・・・という感じで

思ったことを言ってくれた。

でもなんか、驚いてもいたけど笑ってもいた。

嫌な笑いじゃなく、本当に自然な会話のように笑ってくれて、

わたしはすごくホッとした。

普通だったら慌てて心配するかなのに、この人は笑ってくれた。

そして病院に戻るよう促してくれて、夜中の1時半に病院に戻った。

病院に1人で戻った時、対応してくれた看護師さんも話の分かる人で、

第一声が「おかえり」だった。

 

 

その後のK先生のメールに

あなたを救ってくれるのは、救いの手を差し伸べる「べき」人ではなく、

「実際に」差し伸べてくれる人なんだということを、

自分の過去の経験をふまえながら教えてくれた。

B'zのBrotherhoodの歌詞にも

「いざという時 手を差し伸べられるかどうかなんだ

だからなんとか ここまでやってこれたんだ」

とある。多分そういうことなんだと思う。

 

もし脱走した時、親以外の人には助けてもらえないと

自分の考えに固執していたら、きっと自殺で終わって今の私はいなかった。