感情からの反応2 http://ameblo.jp/nc-commu/entry-10553546633.html 

で書いていた、決断について。



このメールを創るのに、いろいろ探究をした。


『本音をすべて話せばいい、というわけではない』ことをちょっと前、経験していて。

それを踏まえて、そのコミュニケーションの意図は何か?とか
相手がそれを受け取れるのか?とか
相手が伝えたことを踏まえて、行動をおこしたり、考えを深めたりするのだろうか?とか。


いろいろ。

本当にいろいろな角度から、そして今まで自分が行ってきた”伝える”ということが、改めて、浅く、機能しない、配慮が足りない、ものだったかということに気がついた。



こちらの言いたいことを言う。
今までは、結構これに近い形だったのかも。

でも、やりたいことは、相手に言うことではなく、相手に伝わって行動や考えを起こしてもらうこと。


この部分の目標だったり意図だったりするものに対して、どうすればいいのか、どういうあり方であればいいのか、ということを探究してこなかった。





伝える側のあり方。



それに何となく触れた感じがした。
そして、それに気がついた途端。
自分の探究の浅さや無力さ、経験のなさ、あり方の不適切さが目の前に現れて・・・

絶望・・・
ただただ・・・
なみだがでてきて・・・
嗚咽して・・・

3歳位の自分が泣いていることを思い出されたり。

そのころも同じように感じていた、伝えたいのに伝わらない、そのもどかしさからの自分へのいら立ちみたいなものが感じられて。



1時間くらい部屋の中で泣いていた。







ただ、そこで味わった、絶望。
あとからあとから湧いてくる、自分へのふがいなさ、武骨さ。
配慮のなさ。

その対象も、自分自身から、相手へ、そして家族やスタッフ、患者さん、友達・・・
思いがどんどん広がっていき。



そのあとに。
ごめんなさい。

ただただ、ごめんなさい・・・

そう繰り返していた。



そんな中でも、だんだん、みんなのことが大好きで、愛おしくて。
そういう感情もわいてきた。




そしてそのころになると、顔はぐちゃぐちゃだし、両目はお岩さんみたいに腫れてるし、鼻水もよだれも・・・

そんな状況なのに、なぜだかすっきしりていた。

そして、今までと違って、同じものを見ていても、なんだか見え方が違うというか。
そういう不思議なかんじがした。



すごくクリア。
雑念が全くなくて。



ただあるのは、自分自身。
それも、意図がすごく明確になっていて。
それに対して、ものすごくやりたいという思いが湧いてきて。




そこから、あれほど悩んで、考えて、相談しながら書いてきたメールが、全く違う形で現れた。

全然違う。
自分が書いたのだけど、今までの自分だったら書けなかったことまで。