呑みながら話そうか

呑みながら話そうか

徒然作家保志泉の小さなおはなし

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『零式』と言うロックバンドがあります。

(決して右翼団体ではありません)
その彼らに共鳴する『零組』というチームがあります。

(右翼団体ではありません、念のため)

ワタクシはその『零組』の創立メンバーであり、弐式を名乗るモンでございます。


今回はワタクシがライヴレポートの担当になりましたので、自分のページにも乗せちゃうというわけなんでござんす。


ライヴの名前は『零会』

ライヴという名の飲み会、というウワサありまして…ワタクシもしっかりワインをかっくらいまして、下北沢の夜に零式の歌を~というなんとも贅沢なひとときを過ごしましたので、ここにその一部を記させて頂きます。


『零会 Vol.6

929日(木)下北沢 BAR? CCO

形態:アコースティック



1.リンダリンダ

2.

3.ハニハニ

4.スタンドバイミー

5.Go For It(レオセプト)

6.よろこびの歌


今回の零会は、なぜかブルーハーツのリンダリンダから始まりました。

ショートバージョンでしたが、勢いのよいスタートでした。


「俺の歌は結構あっちこっちでパクられてるんだぜ!」

そんなセリフは、最初の頃は、男子独特のポーズかもね、と聞き流していたのですが、朝真という音楽家と付き合いを続けるうちに、それはあながちウソでもなかろう、と思うに至りました。


「俺はこう見えてパイオニアなんだぜ!」

という話題に入りかけたところで、なぜか話はおっぱいのほうに…

「パイオニアっておっぱいのそばって意味か?」

と朝真がつぶやいたからです。

話はどんどん下世話になるのかと思いきや、朝真はこう言うのです。


「夏目漱石は、愛してます、っていうセリフを、月がきれいですね、なんて訳したんだ。俺たちはおっぱいをなんて表現したらいい?お前らどう思う?」

そしてしばらくおっぱいおっぱいで話が進む中


「おっぱいの話の後に歌うのもなんだかなぁ。」という感じで歌いだしたのは、



愛の名曲『隼』

やはりこの曲は、バンドでもアコースティックでも、大舞台でもスクリーンでも、カフェの小さな舞台でも、変わらぬ愛を歌ってくれる。愛を届ける勇気をくれる。不動の名曲というのはこういうものなのだ、とあらわしてくれる演奏でした。


話はいきなりおっぱいに戻り、女の子のカラダを歌いたかったのだと

『ハニハニ』という曲を演奏しました。

♪僕は馬鹿だけど 羊じゃないから♪

私は初めて聞いたのですが、とても朝真らしい男のカワイサが感じられる、とても心地の良い曲でした。(感想がちょいオバちゃんになっとるなぁ)


そして4曲目には、今となっては言わずと知れた代表曲『スタンド・バイ・ミー』。

朝真は今、月に一度程度被災地に行っているそうです。彼の友人は釜石でいまだ行方不明だそうです。彼は、なにか出来ることは、とボランティアの心で被災地に向かうのですが、そのたびに、彼の方がパワーをもらって帰ってくるのだと言います。

何故彼が、スタンド・バイ・ミーを歌い、そんな話をするのかが、よく分かるような気がしました。


次はゲストの登場です。

零式と、とてもよい関係であるバンド「レオセプト」のメンバーが参加してくれました。ナオさんがカホンを叩き、ユージさんがベースえお弾いてレオセプトの曲『Go For It』です。

意味としては「やってやるぜ」ということらしいのですが朝真に言わせると「行くぜコノヤロー!」だそうです。うん、なんかしっくりくる。

そして将人も演奏に加わり、ダブルベースというなんとも贅沢なものを見せて頂きました。


そして最後は『よろこびの歌』

切なさと優しさを歌い上げた名曲です。

おっぱいの話から真面目な命の話まで、観客を振り回した挙句に最後はこう来るか、朝真の小憎い演出に苦笑いをしながらも、歌は音楽と共に心に沁み込んでくるのです。



♪意外に僕は愛されていて 許されていて 生かされていて♪


『よろこびの歌』の詩が閲覧できます。

http://zeroshiki.tv/sakuhin/yorokobinouta.html


山形公演の発売日は81日、完売は8月中。今田裕美子の活躍を待ちわびるお客さんが、あっという間に集客率の心配を吹き飛ばしてくれたのだった。それどころかチケットを手にできなかった多くの方々が涙をのんだという話をいくつも聞いた。

そんなにまで楽しみにしてくれている人たちにワタクシは、いや私たちはどれだけのものを伝えることが出来るのだろうか。

チケット即完売とは、私たちの宿題の大きさを示すもでもあったのだ。


席に着いたお客様は皆、開演を待つ間パンフレットをじっくりと読み込んでいる。礼子さんが作ってくれたパンフレットはカラーも美しく、女性らしい繊細な雰囲気でとてもきれいで読みやすい。彼女は今まさに、会場整理に懸命に働きまわっている。「あなたの作品が今、お客様の目に映っていますよ。」とワタクシは心の中でつぶやいた。


会場に流れる音楽がいったん高まり、静かに落ちる。

今ちゃんが舞台に上がると大きな拍手。拍手が静まると入れ違いに吹雪の音が流れ始める。


激しく吹き付ける吹雪の音で『足あと』は始まるのだ。

山形の大井沢、山奥の寒村で、へき地医療に生涯を捧げた女医、志田周子さんをモデルにした物語である。

今ちゃんはかつて、10年にわたって彼女をモデルにした一人芝居を演じ続けてきた。

この作品は、その実話を私がもう一度調べ直し、私なりのテーマと物語を見出して書いたものである。


その次はゲストの熊谷藤子を招き入れ『シュークリーム』。

想い出の味をめぐって、2人の女性の心模様を描き出している。

キレのある2人の女優の掛け合いは、さすがに長年の経験と友情の表れであろうと思われた。


今度は東京組のゲストと今ちゃんの3人舞台『はっぴいえんど』。

今回唯一のコメディー作品であり、ワタクシが一番苦しんだ物語である。

ワタクシはコメディーが得意ではない。しかし会場は笑いに包まれ、舞台上で美しくアオザイをまとった3三人の女優が語る「ちょっとおかしなももたろう」は大成功であった。

ありがとう、キングギドラ…。


そして今村和代が『帰り道』という詩を語り上げると、舞台袖からはヴァイオリンを奏でながら駒込綾が登場。舞台上が立体的な郷愁感に包まれたところに、ドレスをまとった大野ちかが現れヴァイオリンと共に『世界の約束』を美声で歌い上げる。「世界の約束」は谷川俊太郎さんの詩を歌ったもので、大きな優しさにあふれた歌曲である。


そして最後の演目は『小窓の風景』

今公演で1番長い作品でワタクシ渾身の作品である。

綾ちゃんのヴァイオリンが歌いいざない、今田裕美子がひとりで読み上げる一人称小説の世界。

朗読する側も大変な力が必要なのだが、その間お客様もじっと耳と澄ませ、雑音の一つもしない。ものすごい集中力だ。

おかげでワタクシが描きたかった大切な風景の物語が、見ているワタクシの脳裏にもはっきりと鮮やかに投影させることが出来たのだ。


本当に素晴らしい舞台だった。

朗読という表現方法が、あらゆる意味で最小限の演出に抑えながらも、豊かに、立体的に語りかけることが出来るとても素晴らしいものであるということをしっかりと証明することも出来たと思っている。


朗読とは、演劇や映画とは違う。

会場に集って下さったお客様と一緒に作り上げる共同作業と言っても過言ではないと思う。

お客様の数だけスクリーンがあり、受け取る人それぞれの想いの中で物語は一人一人の心の中に投影される。

今回の主題は「ふるさと」であった。

今田裕美子は10年前に故郷に帰った。しかし彼女は、東京で追い続けたその志をそのまま故郷に持ち帰り、今も孤軍奮闘役者として立ち続けているのだ。

自分にはふるさとがない、帰るところがない。

と、ずっと思っていたワタクシは、彼女に出会うことによって多くのことを考えさせられた。

誰しも心の中に自分だけのふるさとを探しているのだ。

そしてふるさとは、求めることをやまない人々の心に、いつでもそっと語りかけてくれるのではないだろうか。

かたわらにたたずみ寄り添ってくれるのではないだろうか。


舞台を閉じるにあたってワタクシがお客様にお願いしたことがあった。

皆様の心のスクリーンに映った物語と共に、皆様の心にあるふるさとへの想いを重ね思い出しながら帰っていただければ幸いに思います、と。




☆おわりに☆



東京公演、山形公演と、この『ささゆり』の舞台に携わる中で、私が得た光はとても大きく暖かく明るいものでした。

出会いという言葉では表現できない。

学びという言葉では語りきれない。

感謝という言葉ではあがないきれない。

希望という言葉では照らしきれない。

私は今大きな光に照らされて明日を見つめています。

そして私は映し出したいのです、私の物語を、私だけのスクリーンに。

来光のように、来迎のように。


制作、演出、出演、協力してくれたすべての友人たちに、そしてたくさんの拍手と頷きを下さったすべてのお客様、応援して下さった方々に、深くお礼を申し上げます。


そして、この一連の作品を書くきっかけになった大切な作品『足あと』について。

この作品を

偉大な医師、志田周子先生

私の心の師、鳴海静子先生

のお二人に捧げます。



☆☆☆☆☆☆☆



以上で長らく続いた連載を閉じさせて頂きますが、番外編的なエピソードは、今後のブログにちょくちょく書くかも知れませんね。






本番前の最終チェックが終わり、めいめいが客入れ準備の緊張した時間に入った。

受付係りはテーブルを整え、チケットを整理し、予約表とにらめっこしながら入場手順をシュミレーションしている。予約は満席、招待客の確認も忘れてはならない

会場係りは稽古後の椅子の整頓、お花の預かり台の設置、テレビ局取材のカメラ位置確認、役者の出入りのカーテンの開閉の練習に忙しそうだ。演目ごとの役者の出入りはお客さんの視界の中で行われる。裏方の仕事とはいっても、演出に直接影響する介錯である。

駐車場係りはお客様の車の誘導、会場への案内を練習する。駐車場から“お蔵”へは距離があり、長い坂を上らなければならない。離れた場所での面倒な役回りである。さらにスタッフ・キャストの車の移動も一手に引き受けてくれたのだ。大変な重労働であったはずだ。

演者たちは楽屋へ戻り、ヘアメイクさんの魔法にかかって美しさをさらに増し加えるという、なんとも欲深い作業に突入なのである。

演出は何やら音響さんと二人で会場中央でうきゃうきゃと遊んでいる。どうやらこの二人は空気が合うらしい。演出平野のぬるーいギャグに音響緒方さんはぐふぐふと笑う。こういう一見ふざけたコミュニケーションが、円滑なプログラム進行には役に立つのだ。

よしよし、みんな頑張っているな。なんともわくわくする空気ではないか。さて、ワタクシはどのポジションを手伝おうかのぅ…。

ところが、どこの部所に顔を出しても、皆がそれぞれしっかり役割に没頭していて全く隙というものがない。

ワタクシは客席に腰かけてみたり、裏手に回って煙草をふかしてみたり、ビデオカメラのチェックを何回もしてみたり、飽きるくらいに何度もトイレに入ったり、文字通りふらふらしていたのだが、そのうちにたまらなくなり、怖いもの見たさ…いや美しい者見たさに二階の楽屋に上って行ったのだ。


“お蔵”の楽屋はいわゆる劇場の楽屋ではなく、ベッドやソファーやドレッサーが配置されてあって、いわゆる上品ないにしえの生活空間という風情なのだ。その部屋で思い思いに身支度を整える女性たちは、さながらどこかの貴族の5人姉妹が舞踏会に出かける支度にいそしむ光景のようでもあり、華やかな外界に胸を躍らせながらも静かな緊張をたたえるようなのだ。

そんなむんむんの女子的空間に場違いに紛れ込んでしまったワタクシの黒いスーツは、まるで彼女たちに心を捧げる忠実な執事のよう…であればまだよいのだが、どうにも格好のつかない私は、ふっかふっかのソファーにうずくまり、ちょっと愚痴をいってみた。

「使いっぱしりでもしようかと思ったのに、どのポジションに行っても全然隙間がないよう…お手伝いしようと思ったのにやることがないよう…。」

すると女優今村和代にピチャリと怒られた。

「台本書いた人はなんにもしなくていいの、おとなしくしてなさい!パシリなんてしなくていいの!いいからそこにいなさい!」

そして宮城被災女優熊谷藤子は

「飴っこたべるか~」

と言って梅キャンディーをくれたのだ。
だってだって、落ち着かないんだもん。わくわくするのに静かにしてるなんて、出来の悪い小学生並みに苦手なんだもん。

まぁ、たしかに原稿書いている期間には、ワタクシは一人部屋の中、壁を蹴っ飛ばしながら、胃痛にあえぎながら大暴れしていたわけなのだから、今は「もうやるべきことはやった」とばかりに達観したオトナの雰囲気で構えていればよかろうというものなのかも知れないが。
いかんせんワタクシは小者である。

ふっかふっかのそふぁーの上でイジイジしながら、藤子ちゃんにもらった梅キャンディーをコリコリとかじるワタクシはふと考えた。
あれ?なんでスーツなんて着てきたんだっけ…?
なにか大切なことを忘れているような…
何の気なしに携帯を取り出し時間を確認すると、もうすぐ客入れの時間である。
おぉ、そうであった!そうだった!

ワタクシはすっかり嬉しくなり、いそいそと会場の入口へ急いだ。




“いらっしゃいませ!”を言うために。







来光編へ続く