虐めの傷跡 | 夢みるバク

夢みるバク

日々、安らかに眠る為に・・如何に生きれば良いか、
恥ずかしながら、この歳になりて漸く気付きました。

先のブログに「虐めによる深い塊のような心の傷跡」なんてことを書きましたが・・

確かに子供の頃受けた虐めによる心の傷は、これまで親や家族にも友にも言いませんでしたが、
決して大げさではなく、
私の人格と言うか人間性・性格・性癖と言うか大きな何かを変え、形作ったのは確かです。


確かに石も投げられました。

「番地の反対ち~~んば」と囃し立てられたこともあります。

首を絞められ、気絶寸前になった事も何度もあります。

でも、最も私自身に傷を残したのは、従兄弟たちによる虐め。


私の父親は、元々は大丸の役員でした。

所が、戦地から帰還した殆どの人が元の職場へと戻る中、
父は、私が不憫に思えたのか、職場には帰らず、私にハンドル付のソりを作ってくれたり、
質屋から子供用の自転車を買ってくれたり、プロ野球で使う硬球の球を買って来たり、
兎に角、私一辺倒の可愛がりようで、お陰で母親は逆に質屋通いで、
嫁入りに持参した着物は全て質屋で質流れ。

所が、従兄弟たちの親は殆どが元の職場に戻り、
銀行の頭取や政治家、医師、大手自動車メーカーの専務や役員、
母親の親戚にあたる人も大手建設会社の専務の奥さんになっていた。

つまり、当家はお陰で親戚の中では唯一の貧乏人。

そんな家の子供たち、つまり従兄弟たちからすると親戚一の貧乏人の子供で然も片輪。

散々虐められましたね。

何故か、金持ちの子供たちの虐めは陰湿で、親には決して気付かれないように虐める。

当然、私の心はネジ曲がって行く訳で、
中学生の頃「俺さえ居なければ」と線路に頭を置いたのも、
自分が原因で周りが不幸になっていく。

そう思い込んだからです。

勿論、私の悲しみを理解した積りで、私が寝込んだと信じた父が母に
「一家四人で死のうか」と話していたのを聞いてしまった事もありますが。

幸いにも、その時は丁度犬の朝の散歩をしていた人にドブに突き落とされ助かったのですが。

虐められる多くの子には「理由」があるんですが、多くの親御さんさえ気づいてはいない。

私が小学生の時、野球が大好きでしたが、野球をやった日には腰の痛みで、
一度トイレで座ると痛みで立ち上がれなかった。

でも、そのことは親も家族も友人も、誰1人知りません。

今もね。

私が、誰にも言わなかったからです。

よく、障碍児と呼ばれる子が、急に騒いだり、大声を出したりしていますが、
彼らがそうするには理由があるんです。

殆どの親御さんが気付けないでいる。

以前、教会に総合失調症と言えば良いのか、自閉症では無いと思うのですが、
年齢は、障碍が無ければ中学生の年齢ですが、
様々な異端な言動をする子が居たのですが、何故そうするのか、理由があるんです。

そんな理由が偶々何となく判る私が近づくと、彼の行動はピタッと止みました。

よく、「うちの子が虐められて」と、
学校や担任の先生に訴える親御さんの事が取り上げられますが、
そんな誤ったことをする時点で、我が子の真実が理解出来ていないんですね。

簡単に書くと親御さん自体が健常者目線なんです。

実は、子供が虐められる「種」は親御さんが植え付けている場合が多いんです。


今日は、そんなことを何故か書きたかったら書きました。