寝首は、掻くためにある ショック!


「え~、ご新造さんへ~、おかみ~さんへ、お婆さん、いやさ!婆~」
 酔いどれロバさん、座布団をぱんと叩いて、その上に格好よく座った積もりだが、動きがスムーズでないので行き倒れのロバになってしまった。
「ひさしぶりだ~な~」
「何を間抜けなことを言ってだろうだね、この唐変木は」
 せっかくの洒落をアホ扱いされ、酔いどれロバさん、多々良を踏んじゃった。
「こんな場合は、そういうお前はって、応えるもんだ」
 これだから女はダメだと、酔いどれロバさん、思ったが口に出せない。
「バカ言ってんじゃないよ、こっちは忙しいんだよ、あっちにお行き」
 こうなると、まとわり付いて邪険にされる野良犬の如く、男というものは退散するしかないのである。だが、男というものは哀れなもので、90パーセント以上が、妻を定年後の頼みと考えているらしい。しかも、自分だけではなく、妻もその様に考えてくれていると安易に思っているのだから、救い難い生き物である。こういう男に限って、定年の日に、神さんから三行半を突きつけられるのである。ところが、世の中には能天気がパンツを穿いている様な男が多くて、下手をすると無一文で追い出されるかも知れないのに、三行半を手に視線はついついテレビのコマーシャルに流れ、(お、ええ女やんけ)なんてアホなことを考えている。これなどは、まさか本気で考えている筈がないと高を括っている余裕なのだ。定年の後は、神さんが頼みの綱になってくれると予測している様だが、これがえてして外れるものなのだ。三行半を突きつけられて、そちらの対策は全く考えていなかったから、周章狼狽の体たらくということになる。道路特定財源というものは、そういう体のものではなかろうか。当てにしていた税収は入ってこず、世論からは袋叩きに遭っている様なものである。これの格言がある、お教えしましょうか。


「神さんは、亭主の寝首を掻く」


 寝首を掻くとは、岩波広辞苑によると、人が寝ている時に、つまり油断をしている人の不意を襲って、卑怯にもその首を斬るのである。卑怯な計略で、不意を襲って相手を陥れることであるが、武士道の心得のある相手ならいざ知らず、神さん相手には通じないのである。
 古来、神さんという生き物が、寝首を掻く大家であったことをゆめゆめ忘れてはならないのである。かつ、自分が妻に頼られているなどと自惚れてはならない。神さんというものは、桶狭間の合戦における織田信長の如く、鵯越を駆け下りた源義経の如く、いきなり不意を撃って、攻め込んでくる生き物なのである。大河ドラマ「風林火山」にも出てくるではないか。武田軍が志賀城攻めの折に、小山田氏が諏訪の由布姫を側室に迎えたのであるが、その姫が小山田氏の寝首を掻いたという一部の筋書きがある。これなどは、子どもが産まれるまでに信頼関係が出来ていると勘違いした小山田氏の油断であった。つい最近の話しでは、夫が睡眠中にワインのボトルで頭を殴り、バラバラに切断して、あっちこっちに捨てた某歌織容疑者は、まさに夫の寝首を掻いた典型である。たとえ糟糠の妻であったとしても、ゆめゆめ油断めされるなということである。それだけではない、慌てふためく亭主を見て、まるで親の敵をとった由布姫の如くに喜ぶのである。そうなっても首のないあんさんは、神さんと張り合って素手で戦おうなんて思ってはいけない。年金のすべてを差し上げて手心を加えてもらおうなんて、けちな料簡を起こしちゃいけない。そんなことでは、何処かの毛まで毟り取られるのが落ちだ。


 亭主がやりたい放題、呑む、買う、打つをやっても怒らず、笑顔で痒い所に手が届く様な神さんに巡り合えた幸せものが、世の中にはいる。しかしそれは、神さんが出来ているからではなく、神さんとしては後になって(定年の時になって)叩きのめす為の方便なのである。


「まあ、しゃあないなあ」
 と、まずは気を取り直して、なにやかやと、周りに慌てて取り繕わなあかん。そうせんと、何かと五月蝿いご近所、下手な詮索されまっせ。捨てられて大変でんなあ、とご近所に見舞いを言われ、こっちが捨てたんやと見栄を張っても大人気ない。かといって、「えらいことできましてんと泣きもせず」では、寝首を掻いた積もりの神さんとしては、当てが外れたとばかりに二の矢を飛ばせてくること間違いない。


 それでは、世の中のお父さん、ご近所への便利な言い訳をお教えしましょか。


「いや、ほんま、えらい目に遭いましてん」