ーーーねえ最近あなたの作品現実的すぎない?世の中のほとんどの大人たちが疲れ切ってるからってそこまで現実ばかり見なくてもいいんじゃない?
わたしは駅の切符売り場で並びながら、わたしより少し背の小さい彼に何の気ないそぶりで話した。男と付き合ってしばらくすると女ってだいたい、母性を発揮してつい恋人にたいして口うるさく色々言っちゃう。彼を思ってのことだからこれは愛情表現なんだけどよっぽどそういうのに飢えた男でないかぎりこういうのうざがる。わかってるんだけどわたしもつい言っちゃう。今夜は喧嘩の夜になりそう。
ーーー誰かに見せるための現実的世界しか書こうとしないんじゃ創造性が終わってる。最近ネットばっかりして、自分の世界をこねくり回すことが足りないんじゃないの?恥ずかしくなるぐらい心込めた文章って最近書いた?こうだと面白いんじゃないかとかでなくて、こういうふうに書きたいとかなんか気が向いてこうなっちゃったとかいう理由で書き始めないとおもしろくなんないよ。
言いながらわたしは自分の言葉の的確さとそれをうまく説明できてるという感覚にニヤニヤしだした。人は人らしいものが好きなんだ。自然な笑顔や何気無い仕草に惹かれるものなんだ。下手なビッチの仕組まれて態とらしい上目遣いなんかに、誰が落とされるものか。芸術だってきっと、整然としてなくてぐっちゃぐちゃでも、どうしようもない強い思いを抱いて書いたもののほうが人を惹きつけるにきまってる。まあ他人は知らないけどわたしはそういうものを好きになる。
ものを書く人間は感じたことのあることだけ書けばいい。どうにもならないことはいずれ忘れてしまうから美しく比喩にして夜空に飛ばせばいい。
彼もこちらを見てニヤッとした。
ーーーお前は芸術の芸術という名前に頼りすぎているんじゃない?美術館の白い台の上にライトアップされて置いてあればなんでも芸術になると思ってる?それで得られるのは好奇心だけじゃん。少し前に出てきたような、名前をサインしただけの便器や日用品が、長く語り継がれる芸術になるかというと僕はそう思わないな。まあオブジェとして成り立つかもしんないけど、文章の世界でそういうことやったらどんなものでも本になっちゃうじゃないか。小説はある一定以上の整然がないとだめなんだよ。意味のわからない文章には現実性とかある程度のとっかかりがないかぎり人は惹かれないからね。気が向いて思うまんまにしたら文字と観念の乱交パーティが始まって読者は置いてけぼりさ。シュルレアリスム文学はもう時代遅れだ。仕事に疲れた人間がさらに疲れる文章なんか読むもんか。
彼はわたしをあやそうとするかのように御託ならべてるけど、わたしの言葉がきちんと彼のささるべきところにささってることをちゃんと見えてたから、わたしは嬉しくなってまたたたみかけた。
ーーーそんなこといって、自分はもっと自由になりたいくせに。文章読んでるとわかるけど、あなたそれでも実はいつも自然に特殊でありたいと願ってるんでしょう、そしてその特殊さは選ばれた一人だけが得るべく高貴なもので、その表面をあなたは素朴さとか整然とか現実性で隠して、そこから特殊性をちらりと覗かせながら、冴えたことを言っても嫌味にならないように美しくしているつもりでいるんでしょう。もっと爆発したいのを忘れたふりして堪えすぎて忘れちゃったんじゃないの?
ふつうに仕事ばかりしてると社会に適合するにつれて狂気がどんどんなくなっていくとかいって、もう二度と仕事に行きたくないとか毎回言ってるけど、それでも習慣づいちゃってるし上の人に色々言われたらやだって行ってしまうんでしょう、そしてお金を貰っていざ病気になったときのために貯めておくのでしょう。安定して現実的になりすぎてるよ。たいした人生経験ないくせにそんな安定思考で、いいものとかびっくりするようなもの書けると思ってる?だいたい思いのままに表現することを、適当にめちゃくちゃやるだけってのと混同しすぎてるよ。
愛のない日々や繋がっていない端末やひとりきりの歩行に我慢ならなくなっているのを無理やり我慢しているのでしょう。大きな喪失や変革がないと何も得られないと信じ込んでいるのでしょう。昇華しきれなくて結局わけのわからないかたまりを牛みたいに反芻繰り返しているのでしょう。でもなにひとつ栄養にできなくてまた空腹を感じるんでしょう。あなたに足りないものは今見てるものじゃないよ。今いちばん恥ずかしいと思いながら抱えてるその感情をこそ書くことに価値があるんだよ。
興奮してわたしは話し続けた。出会った当初は不思議で独特の世界を持ってて、魅力的な彼のことがほしくてほしくてたまらなかったけど、いざ手に入ってしまい甘えた側面を種明かしされてしまうと、ただの扱いづらいわがままなひとだという印象が残った。それでも、他者から見たら不思議な能力者みたいな彼のホントの面を知っていて舞台そでで泣いてる彼の頭をよしよししてあげることもできることは自尊心にプラスになったし、なにより彼が弱みを見せれば見せるほどわたしはどんどん彼を愛おしく思うようになってきたんだった。
彼はこちらを見て静かに話をきいていたが、めずらしく自分から抱きついてきた。わたしは嬉しくなって胸がきゅんとした。どうしたの、ここ駅だよみんな見てるよ、と問うと、恥ずかしいものを書いても、お前は僕のこと嫌いになったりしない?と小さく甘えた声で言った。
嫌いになるわけない、ずっとだいすきだよ?わたしはちょっと小さな彼の身体をぎゅっと抱きしめ返す。駅で切符を買おうとしている誰もがわたしたちを見ている気がしたが、もうどうでもよくってわたしは現在のラブラブを堪能した。
ーーー
池袋の駅の切符売り場で、何もない場所に向かって満面の笑顔で話しかけている女がいた。わりと美人で、女優の渡辺真起子さんに似ていた。傍観していた若者たちは、昔見た映画『愛のむきだし』を思い出して、見た目には明らかに怪しい態度のその女にちょっとあたたかい感情がわいた。彼女はひとり二役でさんざんぶつぶつまくしたてたあと、胸をひらいて何かを抱きとめるような動作をし、輪っかに広げた両腕を自分の身体に巻きつけてぎゅっとしめた。自分で自分を抱きしめているようであった。周囲の人には何が起こっているかわからなかった。ただ、人々は皆、この人は今誰にもわからない幸せの中にいるのだと感じとった。だからジロジロ見たり嫌な顔なんかせず、黙ってそれぞれの方向に通り過ぎた。